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Re: 緑とゆとり

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 3月21日(木)00時02分19秒
返信・引用
  > No.1564[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

>  1月20日の日曜日、靭公園の南側の木々の枝で、道の上に来ているのを切っていました。
>橋本市長さん、しっかり無駄を排除して下さいね。

作業員のような人なのに「見てるだけー」みたいなひとが3人もいますね。
正直、清掃車に2名、高所作業車に伐採者2名と補助2名の6人もいれば
十分なように思えます。


ところで大阪観光のときに気がついたんですが、
「大阪ではエスカレーターで右に人が整列する習慣」なんですね。
関東ですとエスカレーターは左に人が整列する習慣ですけど、この違いは
なにがきっかけなんでしょうか???

写真は大阪地下鉄のエスカレーター写真です。
 
 

沖縄のキリスト教会

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 3月20日(水)23時41分48秒
返信・引用
  「神よ 変えることのできるものについて、
 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 変えることのできないものについては、
 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、
 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
 識別する知恵を与えたまえ。
       (アメリカのキリスト神学者)」

琉球松さん、私のパソコンの故障で報告が遅れてしまいましたが昨年の
10月28日~12月18日の間、普天間バプテスト教会の方々で米軍基地反対・
オスプレイ強行配備反対・海兵隊暴行事件に抗議の賛美歌を歌い続けて
くれたそうです。

アメリカの場合、「軍はあくまで軍の理屈でうごく」のがあたりまえなので
「オスプレイ反対、かわりにF18-Gをよこせ~」くらい言わないと軍窓口の
気は引けないだろうなー・・・と私は感じてしまうんですが、思い込んだら
一直線なキリストたちの行動力はみていて気持ちがいいです。

写真は日本キリスト教会靖国神社問題特別委員会発行のヤスクニ通信です。
リンク先はF18-Gの説明。

http://ja.wikipedia.org/wiki/EA-18G_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

 

沖縄の溶鉱炉

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 3月20日(水)23時04分28秒
返信・引用 編集済
  「松浦なる 玉島川に鮎釣ると 立たせる子らが 家道知らずも(万葉集0856)」

琉球松さん、どうもご無沙汰しています。
沖縄にも溶鉱炉の跡があるとのことで興味惹かれたのですが、沖縄でも刀剣の類
は作られていたんでしょうか?
沖縄だと鉄は採取できず、作ったとしても錆びるのが早いようなイメージが湧い
てしまいます。

本土ですと鍛冶師が刀剣を神社に捧げるようになりましたが、台湾ですとそうい
うことはないみたいで沖縄の独自性が興味深いですね。

写真はマツカサウオです。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: 「熊野の謎と伝説」

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 3月18日(月)16時22分45秒
返信・引用
  TAMIさんへ

 ご紹介した内容には、奄美沖縄のローカル情報が付会されているわけではなく、『記・紀』や『風土記』、考古学的な事実をもとに書かれています。あえてローカル情報の付会があるとすれば、奄美沖縄における「ホト=子宮(溶鉱炉)」の観念でしょう。

 また、銅鐸の消滅と銅鏡の出現がクロスする弥生後期には、沖縄諸島産の貝輪が吉備~播磨&淡路島まで到達することも考古学的証拠ですし、「神武東征神話」とのからみも含めた "熊野論" となっています。
 各地の『風土記』もそうですが、ローカル情報は中央で削除された事柄を伝承している可能性がありますから重要ですね。

写真は、山頂に聖地を頂く「スクナもり」・沖縄島南部
 

Re: 「熊野の謎と伝説」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 3月18日(月)14時11分43秒
返信・引用
  > No.1585[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

>  名護説の解釈では以下のようになっています。ちょっと長いですがご紹介を。

難しいです。

ローカル情報は、付会が多い様に思います、

しかし、真実もある、

玉置神社は、五条の方からか、本宮からか?

十津川街道を読んでみました、

熊野は複雑怪奇?

高倉下、鍛冶族の方が判りやすいが、果たして?

難しいです。

 

Re: 牡丹鍋にどうぞ

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 3月15日(金)16時29分29秒
返信・引用
  > No.1587[元記事へ]

言蛇さんへのお返事です。

> 「安達太良の 嶺に臥す鹿猪の
>    ありつつも 吾は到らむ寝処な去りそね(万葉集3428)」
>

> #さて、どういう方法でアダルトサイト宣伝投稿会社を潰すのが楽しいでしょうか?


 IPアドレスは、管理者は知ることができます。

 また機能の設定で
NGワードをいくつか登録でき、投稿を拒否できるようです。

また、ホスト名で、出入り禁止ができるようになっています。
 

牡丹鍋にどうぞ

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 3月15日(金)10時04分5秒
返信・引用 編集済
  「安達太良の 嶺に臥す鹿猪の
   ありつつも 吾は到らむ寝処な去りそね(万葉集3428)」

去年の秩父神社夜祭の翌日、商店街に掲げられた猪です。

パソコンが壊れている間はノーベル文学賞を受賞した莫言さんの本(訳:吉田富夫)・
「天の蛇・ニコライ=ネフスキーの生涯(作:加藤九祚)」を読んでいました。

掲示板が新しくなったようですが、IPアドレスは表示されないんでしょうか?
アダルトサイトの宣伝投稿ですが自分のところに来た宣伝者の発信源は、東京渋谷に
あるフリービットという会社と特定されました。
私自身は、発信源は大阪とばかり思って戦艦大和をこちらに配置したんですが見事に
あてが外れてしまいましたよ(苦笑
仕方ないので、戦艦大和は大阪待機で関東には別の船を送ることにしました。


#さて、どういう方法でアダルトサイト宣伝投稿会社を潰すのが楽しいでしょうか?

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

穂高神社、豆まきの一コマ

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 3月15日(金)09時41分24秒
返信・引用
  「信濃道は 今の墾り道 刈りばねに
                足踏ましなむ 沓はけ我が背(万葉集3399)」

神奈備さま、おくればせながらあけましておめでとうございます。

年の暮れには挨拶しようと思っていたのですが文章打ち用パソコンが
壊れてしまいまして、古いMacOS9だとこちらの掲示板で改行等に不都
合があったのでご無沙汰していました。

写真は、穂高神社の豆まきにきたアルクマくんです。
旧聞ですが去年の秋口に熊(噂だと二頭とか)が長野市街中心部まで突撃侵入しまして、
川中島で対陣していた上杉・武田両軍ともこの熊に大きな被害を受け、両軍とも長野か
ら軍を引き上げました。この事故で武田軍は山本勘助を失ったとの噂が流れています。

なにぶん多忙な身であまりお構いもできない身ですが、本年もよろしくお願いいたします。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: 「熊野の謎と伝説」

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 3月 8日(金)10時42分16秒
返信・引用
  TAMIさんへ

 名護説の解釈では以下のようになっています。ちょっと長いですがご紹介を。

*** 出雲と熊野に葬られた国生みの女神イザナミは、原初の金属神の代表であり銅鐸の象徴にほかならない。イザナミの埋められた場所は紀伊国の有馬村ともなっている。
 島根・和歌山ともに銅鐸の出土数の多い土地柄であるが、銅鐸はサメを形象した弥生時代の金属神であり竜蛇神である。出雲にはサメの伝承が多いが、紀伊国も同様であることは『熊野年代記』をみてもわかる。それには「承和十三年(846年)新宮川口に大鮫入り、川の主となる」などとある。和歌山県の川に、海にしか生息しないサメが盛んに遊泳していたというのは古代人の想像であろう。しかしそのサメが銅鐸のことであったと解釈すれが納得できることである。銅鐸が川底から発見される例が熊野にあるからである。
 出雲系の神スサノオノについてみても出雲と熊野の関連がわかる。『日本書紀』の一書にスサノオの子のイタケルは、様々な種類の木の種をもって朝鮮半島から紀伊国に渡って来たとされる。紀伊国は「木の国」である。
 イザナミの葬られたという有馬村のその場所は「花の窟」とされ、日本書紀には「土俗、この神の魂を祭るには、花の時に花を以て祭る」とある。熊野市の熊野灘に面した高さ56mの大岸壁の最下部にある岩穴がそれであり、現在は神社となっていて、イザナギと火の神カグツチを祀っている。そそり立つ巨岩が御身体で、海に向かった岩穴はイザナミの女陰(ホト)とみなされている。
 「花の窟」から20Kmほど西南方向へ行くと、それよく似た景観のゴトビキ岩がある。新宮市の千穂ケ峯の南端の絶壁の上にあり、やはり熊野灘に面した巨岩である。神武紀に登場する天磐盾ともみなされていて、熊野速玉大社の摂社である神倉神社のご神体となっている。巨大なゴトビキ岩を袈裟(けさ)岩が支える構造になっているが、この袈裟岩の穴から袈裟襷文(けさたすきもん)銅鐸の破片が出土している。この場所が弥生時代には既に祭祀の場であったことが分かる。
 2月6日に行なわれる神倉神社の壮絶な火祭りは県の無形文化財にもなっていて、この火の神の祀りが神社の起源であることをうかがわせる。銅鐸は水の神であるが、同時に金属と火の神でもあった。***
 

「熊野の謎と伝説」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 2月28日(木)13時00分57秒
返信・引用
  「熊野の謎と伝説」澤村経夫著

神倉神社からでた銅鐸片の謎

著者が熊野速玉大社の上野宮司さんと、橋本古道具店(新宮駅裏)で見た銅鐸の顛末、
とても面白い話です。

金属関係の話は、非常に説得力あります。
 

「熊野の神々の風景」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 2月19日(火)16時08分47秒
返信・引用
  松原右樹遺稿「熊野の神々の風景」

鍛冶族のタカクラジノミコト(高倉下命)136ページ~137ページ

熊野の高倉下は神倉神社の主祭神としてゴトビキ岩に祭られる土着の神、または一族であった

が、神武に宝剣を献上するという服属儀礼を行い、神武の味方となったものであろう。

西田長男(1909~1981)は、高倉下の「高倉」は、砂鉄製錬工場をさす「タタラ(高

殿)」・「ホクラ(卜蔵)」・「ホクラ(秀蔵)」と同様で、高倉下とは、そこを掌る主人のこ

ととした(『神道史の研究』第二)。


西田長男らの説によると、ゴトビキ岩周辺の土着勢力であったタカクラジ(高倉下)は、神武に

服属した採鉄、採銅の鍛冶集団であったということになる。

とあります。
 

「唐沢山神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 2月16日(土)18時01分0秒
返信・引用
  栃木県佐野市、
佐野ラーメンと唐沢山神社、
藤原秀郷を祀る神社、
唐沢山城跡にあります。
宮司さんは秀郷末裔「佐野」氏のようです。

●唐沢山神社(からさわやまじんじゃ)
栃木県佐野市富士町1,409
【祭神】藤原秀郷
由緒沿革
秀郷公は天児屋根命二十二世の孫、藤原鎌足を祖とし、数代を経て上野国邑楽郡河辺荘赤岩の館にて生を受け、幼少の頃近江国(今の滋賀県)と山城国(京都府)の境にある宇治の田原という所に住んで、弓馬の器量優れ人々より田原藤太と慕われた。
その頃近江は三上山に、大むかで出没し人々を苦しめている事を聞き、得意の弓術にてこれを打つ、琵琶湖の神龍王はこの功を賞賛し、公はこの時神縁を受く、時の朝廷よりは従五位下に叙され下野国押領使に補される。(延長五年四月、九二七)よって居城を唐沢山に築く。第六十一代朱雀天皇の御代、天慶二年十二月(九四〇)、平将門下野を始め関東各地を侵略す。
公、平貞盛と共に下総国幸島の北にて迎撃し将門を滅ぼす。時に天慶三年二月十四日(世に之を天慶の乱という)、朝廷其の功を賞し従四位に叙し、武蔵下野両国守に任じ鎮守府将軍とす。以来六百七十年間子孫善政をしいたが、慶長七年(一六〇二)、三十代佐野信由公の時廃城となった。
明治十六年八月六日、特旨を以て正三位を追贈されるに及び、後裔一族旧臣等、公の御遺徳を偲ぶ人々により明治十六年九月に本殿拝殿を創建し鎮座申し上げた。
更に明治二十三年十一月、別格官幣殿に列せられる。大正七年十一月十八日、特旨を以て贈正二位とされる。
以上
 

出雲と大和

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 2月14日(木)19時16分57秒
返信・引用
  岩波新書。
目から鱗のところがあります。
 大国主の大和行き。
 出雲国造の「神賀詞」は大和の神を指名。
 唐古・鍵遺跡。
 

「露垂根神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 2月13日(水)22時21分57秒
返信・引用
   露垂根神社(つゆしねじんじゃ)

<通称>明神様(みょうじんさま)
栃木県佐野市富士町1,007
【祭神】市杵嶋姫命 (合祀)素盞嗚尊

由緒沿革

天慶五年六月、藤原秀郷、安芸の国厳島大明神を本村唐沢山に勧請、爾後寛仁三年十月十五日・文治二年九月十九日・大永三年九月十九日と代々佐野城主再建立修覆、このとき笠松山の中腹に奉移し、その後天文二十二年八月十九日、佐野越前守秀綱が再び建立した。天正元年八月十九日、修理し後宗綱再建立した。天正元年八月十九日修理し、後、宗綱再建立した。慶長元年八月一八日、修理し太夫信吉の時現在のところへ御所を替えた。その後、寛永十二年十一月、大願主征夷大将軍源家光從四位井伊直孝が再建立した。寛保三年九月十八日、氏子一同で拝殿造立し露垂根大明神として崇拝していた。明治四十一年、氏子一同で茅葺の拝殿を改修し、大正八年、幣帛料指定村社に指定せられた。
以上

唐沢山城址跡にある「唐沢山神社」の麓に鎮座、

名前からして、「つゆしね」、

本殿に「竹林の七賢人」、

意外と歴史あるのか?
 

「四十九前神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 2月13日(水)21時47分2秒
返信・引用
   露垂根神社(つゆしねじんじゃ)

<通称>明神様(みょうじんさま)
栃木県佐野市富士町1,007
【祭神】市杵嶋姫命 (合祀)素盞嗚尊

摂社

境内神社002】四十九前神社(しじゅうくぜんじんじゃ)

【祭神】四十九前神

疑問

現場写真では「四十九膳神社」とあります、

平成祭データには「四十九前神」これ一社、

佐野市当局に聞いたところ、近くから合祀したとだけ、

鹿児島に「四十九所神社」というのがあります(平成祭データ)、
伊勢神宮から勧請したようです、

「膳」と「前」がポイントのようです。

 

水沼「黒峯神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 2月10日(日)11時01分55秒
返信・引用
  黒峯神社(くろみねじんじゃ)

<通称>天神様(てんじんさま)

群馬県勢多郡黒保根村水沼(現桐生市黒保根町水沼)336

【祭神】菅原道眞 (合祀)大己貴命 大山祇命 建御名方命 火産靈命 素盞嗚命

わたらせ渓谷鉄道「水沼駅」近くに鎮座、国道122号は、平安時代は奥州と京都をむすぶ街道、近世は足尾銅山の道として栄えたようです。

黒峯は赤城山の別名(黒保根も同じ)、社殿は赤城神社本社に似ているようです、いろいろな要素が混ざり合っているようです、

狛犬?狛牛のように見えますが?.

鳥居の扁額も相当年代物のようです。
 

Re: 勝敗ソフト

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 2月 8日(金)11時09分32秒
返信・引用 編集済
  > No.1576[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

>  興味深い訴訟が行われています。
>  競馬ファンが勝敗ソフトを改良して、競馬に賭けたそうです。結果を単純にすれば、29億円投資して30億円当たったそうです。1億円の利益。
>  税務署は当たり馬券を買った費用だけを費用と認め、そこに至る当たらなかった馬券購入費用は、当たり馬券を購入する費用に当たらないとして、所得税法違反で裁判になっています。

この手の話は昔からありましたが、誰も申告する人はいない(聞いたことありません)、
爆笑問題の田中さんが大穴当てたと報道されましたが、課税されたのでしょうか?
税務署も先手攻撃?
この人は、ネット投票(電話?)で、逐一税務署に捕縛されたみたいですね、
笑い話で、強盗の所得は、包丁等は経費として認められる?

費用計上の期間(時期)も問題になるのでしょうか?

一方的な判断にはならない?

確定申告の必要?

どうなるのでしょうか。

もともと、公営ギャンブルは儲からないのが当たり前、

25%控除した残りを配当するわけですから、
 

勝敗ソフト

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 2月 7日(木)19時29分29秒
返信・引用
   興味深い訴訟が行われています。
 競馬ファンが勝敗ソフトを改良して、競馬に賭けたそうです。結果を単純にすれば、29億円投資して30億円当たったそうです。1億円の利益。
 税務署は当たり馬券を買った費用だけを費用と認め、そこに至る当たらなかった馬券購入費用は、当たり馬券を購入する費用に当たらないとして、所得税法違反で裁判になっています。
 数学で考えると、競馬で当たる当たらないは乱数的現象と見えるでしょうから、一見税務署の論理が正しそうにみえます。

 しかし、競馬の傾向を考え、分析して当たり馬券に到達すると言うことは、一種の乱数の移動平均を取っていくことと同じではないでしょうか。要は憑きの出現を行ったとも言えます。移動平均分は当たらなかった馬券に相当します。
 税務署の論理は無理筋だと思いますが、いかがでしょうか。

 グラフは、先が乱数のグラフ、次がその移動平均のグラフです。

 

新宮市

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 2月 7日(木)08時52分33秒
返信・引用
  居住者の平均居住世代は3代だそうです。人が来て曾孫が去っていく計算になります。顔を見て人種を知ることが出来るかどうかですね。  

Re: 高倉下

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 2月 4日(月)10時44分41秒
返信・引用
  TAMIさん、トウトゥガナシ(ありがとうございます・与論島方言)。  

Re: 高倉下

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 2月 3日(日)09時08分7秒
返信・引用
  > No.1572[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

> TAMIさん、下の入れ墨はどこの地域のものでしょうか?

アマゾンの原住民のようです(悲しき熱帯・レヴィ・ストロース)、
やはり美人は美人なんですね。

写真は、

以前、神奈備さんに紹介されたサイト、
(廃村ひとすじ・HEYANEKOのホームページ)

愛媛県四国中央市金砂(きんしゃ)町の中之川地区

にある「新田神社」

東国武将ゆかりの地

新田一族の子孫を祀っているそうです、

地元群馬では、新田神社は太田市金山城址跡に一社のみ、

愛媛県だけでも13社、新田一族を祀る神社は相当あります、

平家落人の話はアッチコッチにありますが(群馬)、

神社の祭神として祀ってあるのは少ない、

四国の方は本物のようです。
 

Re: 高倉下

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 1月31日(木)09時07分47秒
返信・引用 編集済
  TAMIさん、下の入れ墨はどこの地域のものでしょうか?

 高倉下とは直接関係ないと思いますが、『魏志』の倭人伝の「男子皆黥面文身」を連想しますね。
 現在の日本列島における伝統的な入れ墨は、北海道アイヌ、ヤクザ、それに琉球圏の「ハジチ(針突)」だけでしょうか。

 これらがいつ頃からのものなのかは判然としないのですけども、施こされるデザインからいろんな推測が可能ですね。琉球圏の場合も美人の条件の一つとなっていたようで、僕の祖母のハジチも彼女の優しさとも相まって美しいと感じたものです。

画像は、琉球女性の手の甲の例で、そのデザインは(矢・ホト・星・魚・ヤドカリ etc )が主流。特に奄美諸島の手首のそれは「ヤタガラス」を思わせます。
 

Re: 高倉下

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月28日(月)07時45分24秒
返信・引用
  > No.1570[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

>サルタヒコやヤタガラスのように、高倉下もまた「倭国大乱」を終息させるべく活動した英雄のように思えますね。

ありがとうございます。

ヤタガラス=高倉下の線は無理筋?


写真は、美人と普通?
 

Re: 高倉下

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 1月27日(日)12時44分58秒
返信・引用 編集済
  TAMIさん

 梅原猛さんの著書のご紹介、ありがとうございます。さっそうく購入しようと思います。

 縄文系とは言っても、弥生時代が始まると混血が進んで「倭人」になっていくようですから、なんとも難しい問題です。
 ただ、熊野は出雲との関係が深いですから、旧勢力であると考えてもいいのではないでしょうか。
 「高倉下」と呼ばれる勢力も、結局は神武(九州倭国連合の統一運動?)に参加したのではないかと。。。
 そこには朝鮮半島や中国大陸からの亡命者も多くいたはずですが、高倉下が食料に関わる名だとすれば、鰐(鮫・龍)の子孫である神武兄弟の名に「稲」が含まれる事と無縁ではないと考えますし、サルタヒコやヤタガラスのように、高倉下もまた「倭国大乱」を終息させるべく活動した英雄のように思えますね。

 蛇足ですが。。。山口県土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの松下館長は、「小泉今日子は縄文系で鈴木保奈美は弥生系、中間タイプに田中裕子」と書いています(笑)。

画像は、普天間基地内の前方後円墳?・・・本文とは関係ありません。
 

Re: 高倉下

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月27日(日)09時58分19秒
返信・引用
  > No.1568[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

>  「高倉下」は朝鮮系よりも、海部など海人系の匂いがしますがどうでしょうか。
>  物部との関係性があるとすれば、倭の先住民に近いとの認識も考慮していいと思います。

 熊野の名族?は高倉下の子孫という伝承があるらしい、とのこと、

 ということは、現場に行って地元の顔付きをみれば参考になりますか?

 南方熊楠は、どう見ても縄文系の顔しているようですが、

 高倉は、やはり食料倉庫でしょうか?

 倭の先住民に近いとすれば、やはり、縄文系でしょうか?

 
 

Re: 高倉下

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 1月25日(金)14時03分24秒
返信・引用 編集済
   「高倉下」は朝鮮系よりも、海部など海人系の匂いがしますがどうでしょうか。
 物部との関係性があるとすれば、倭の先住民に近いとの認識も考慮していいと思います。

 琉球方言では「タカクラジ」の響きには馴染みが無いのですが、文字通りの意味だとすると、高床式の倉と関係するでしょうかね。喜界島の高倉の上部横棒には魔除けと思われる「隼人盾」ソックリなギザギザ模様が刻まれています。

写真は、沖永良部島の「奄美式高倉」と説明板・沖縄県立博物館所蔵
 

Re: 高倉下

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月23日(水)19時54分23秒
返信・引用
  > No.1566[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。
>
> 兵站は面白い解釈ですね。
>
>  渡来系とは「高」がついていることからの推測でしょうか。

天孫族、ニギハヤは渡来人とすれば、

高倉下は、徳川幕府の柳生一族の様なものではないか?

つまり、天孫族系渡来人の弱み?を握っている、

神武東征に突如として登場、

これは、無視できないということでは、

神武東征の時代は、卑弥呼以後とすれば、兵站は既に中国では当たり前、

それと、熊野に根拠は、楽しい?

なんとなく、関雄二風ですが。

写真は、

この山の麓に「諏訪神社」があります、

山頂に祠などあると推測しました、

調べてみると、「社」があるようです、

”高い”ところに神宿る、
 

Re: 高倉下

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 1月22日(火)20時13分39秒
返信・引用
  > No.1565[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 高倉下は、
>
> 兵站、渡来系、と思います。
>
> それ以外に何かありますでしょうか?

兵站は面白い解釈ですね。

 渡来系とは「高」がついていることからの推測でしょうか。
 

Re: 高倉下

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月22日(火)10時54分3秒
返信・引用
  > No.1559[元記事へ]

>神奈備さんへのお返事です。

>琉球松さんへのお返事です。

高倉下は、

兵站、渡来系、と思います。

それ以外に何かありますでしょうか?


写真は足利市緑町「八雲神社」の仮殿にある神鏡?
 

緑とゆとり

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 1月20日(日)17時20分39秒
返信・引用
   1月20日の日曜日、靭公園の南側の木々の枝で、道の上に来ているのを切っていました。「大阪市 緑とゆとり」の係りのようです。写真で見えるように、運転手1人、上部でチェーンソウで切る人と補助で2人、道路は西側に3人、東側に3人、また公園内部に3人、全部で12人の大部隊です。これはゆとりが有りすぎるのではないでしょうか。休日出勤だし、橋本市長さん、しっかり無駄を排除して下さいね。
 

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