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Re:次の年号

 投稿者:琉球松  投稿日:2018年12月 3日(月)09時58分44秒
返信・引用 編集済
  カレンダー製作会社に勤める知人は「早めに元号を発表して欲しい」と言ってますね。
こちらでは、西暦、元号の外、旧暦の3つが必要です。神事のほとんどが旧暦ですからね。

かつて尺貫法を廃止してメートルに統一する案が行政審査会で議論になった事がありましたが、文化の保存等の観点で見送られた経緯があります。これを廃止すると「八尋殿」などの感覚が解りずらくなりますね。
年号もまた重要な文化です。時代の画期を理解するためにも必要でしょう
 
 

次の年号

 投稿者:神奈備  投稿日:2018年12月 2日(日)20時14分46秒
返信・引用
   日本政府は馬鹿だとは定評のあるところだが、平成の次の年号の発表をもったいぶっている。だからカレンダーメーカーや手帳のメーカーも今後は西暦一本で行くと決めたところが散県される。これでは徐々に和暦に親しむ人が減って来る。天皇によって時代を見る観点がなくなる。  

Re: 三輪山の天皇霊

 投稿者:神奈備  投稿日:2018年11月29日(木)15時39分1秒
返信・引用
  > No.1877[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

 孝霊天皇と天日矛とが同一かなと。
http://www.kamnavi.jp/uga/ugakourei.htm

> この山が「かんなび」だとすれば、出雲系の神の霊ではないでしょうか?
> 後世の姓で言えば「臣」。。。だとすると神武系と開化は除外されますね。
> 三輪山伝説にも登場する「百襲姫」の父孝霊か崇神天皇ではないかと想像しています。
 

三輪山の天皇霊

 投稿者:琉球松  投稿日:2018年11月28日(水)13時50分25秒
返信・引用 編集済
  この山が「かんなび」だとすれば、出雲系の神の霊ではないでしょうか?
後世の姓で言えば「臣」。。。だとすると神武系と開化は除外されますね。
三輪山伝説にも登場する「百襲姫」の父孝霊か崇神天皇ではないかと想像しています。
 

Re: むくろが谷

 投稿者:神奈備  投稿日:2018年11月26日(月)17時39分6秒
返信・引用
  > No.1874[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

 こんにちは。
 『敏達紀』に三輪山に天皇霊が宿っているとの記述があります。谷川健一氏はこの記事とむくろが谷を結び付けて考えておられました。どの天皇とは書いていません。

>
 

Re:むくろが谷

 投稿者:琉球松  投稿日:2018年11月26日(月)15時40分29秒
返信・引用
  神奈備さん、ご無沙汰してます。
北の地では雪のようですが、こちらはまだ冷房使用中です。

「むくろが谷」。。。これって風葬跡ではないかとされてますね。
三輪山の禁足地が墓域だったとすれば、琉球文化圏の風習にも繋がります。
こちらでは那覇近郊でさえ今だに風葬の跡があって、公共工事などで移葬されない限りずっとそのままかもしれません。

画像は、“むろ” を利用した風葬跡(沖縄島北部)
 

むくろが谷

 投稿者:神奈備  投稿日:2018年11月13日(火)17時06分10秒
返信・引用
  > No.1872[元記事へ]

言蛇さんへのお返事です。


和歌、ありがとうございます。

寛文六年 1666
奈良寺社奉行の裁許定書には「和州三輪山本社山に定置覚」として
「北ハ三光谷限麓より峠迄 南むくろが谷限麓より峠迄 西より東之峠迄 町積二十町五十六間。
横之広サ、南より北迄四町余、右ハ三輪明神本社山と相定置候間、自今以後不寄誰、不可有山人者也」
 この範囲は禁足地で神体山であった.


 

Halloween Nuts!

 投稿者:言蛇  投稿日:2018年10月31日(水)23時52分20秒
返信・引用
  「瓜食めば子ども思ほゆ、栗食めばまして偲はゆ
  いづくより来りしものぞ 眼交にもとなかかりて、安寐し寝さぬ(万葉集0802)」

今年の節分に金沢文庫の瀬戸神社で行われた節分の様子です。
大人向けと子供向けに分けて播かれますが子供だけでも境内の三分の一を埋める賑わいでした
今年は関東学院の学生さんが大道芸を披露してくれました、下の写真はディアブロの一コマ

「収穫祭 わらしの声の こだまする らんたん灯す 秋の夕暮れ(言蛇)」

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

クラゲに刺されました

 投稿者:言蛇  投稿日:2018年10月31日(水)23時36分18秒
返信・引用
  神奈備さまご無沙汰していました
春先にWindows10が入ってきたのですがこれが猛毒なのかアップデートが繰り返えされた結果テキストエディタは10分で落ちる漢字変換は一単語に5秒かかるタブレット設定が消失しているで記事作成もなにもない状態です。Windows10を眺めていると大企業病には罹りたくないものだとつくづく思います。
まあネット以外は実りもあったので年末に向けてだましだまし投稿しますね

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: その後の物部氏

 投稿者:神奈備  投稿日:2018年 7月11日(水)17時29分3秒
返信・引用
  > No.1867[元記事へ]

神話の森のブログさんへのお返事です。


> 勝利者だから台頭したのか、物部氏が名前を変えただけなのか、そこを知りたかったわけですが、そこまで踏みこんでいる本は、ないものでしょうか。

物部氏に関連の書籍には、以降の氏族についての詳細はあまり触れられていないのかもしれません。氏族関係の事典があるようですので、それらにはあるのかもしれませんね。
 

その後の物部氏

 投稿者:神話の森のブログ  投稿日:2018年 7月11日(水)05時00分42秒
返信・引用
  たいへん久しぶりの投稿です。神話の森のブログのYです。

谷川健一著『四天王寺の鷹』を取り寄せまして(大阪の天牛書店さんでした)、
最初のほうと最後のほうを読んでみたのですが、
「その後の物部氏」については情報が少なく、やや期待外れといいますか、(聖徳太子の実在が否定されても成立するような論であってほしかったというのもありますが)、とりあえず本は置いてあります。

『新編埼玉県史 通史編1』に、西暦533年に武蔵国造となった物部兄麻呂の一族のなかに、名前を変えて、壬生氏を名のり始めた人物がいると書かれ、壬生氏は渡来系氏族と書かれてました。聖徳太子の時代に突然消えた大氏族ですから、さまざまに名前を変えている可能性がありますので、そのことが本を読もうとした動機でした。
聖徳太子が実在しなくても、あの時代は存在したわけで、
その時代に物部氏が消え、替わって台頭する氏族があったことは変わりません。
勝利者だから台頭したのか、物部氏が名前を変えただけなのか、そこを知りたかったわけですが、
そこまで踏みこんでいる本は、ないものでしょうか。

http://nire.main.jp/sb/

 

Re: 継承問題

 投稿者:言蛇  投稿日:2018年 5月23日(水)22時36分5秒
返信・引用 編集済
  よりさんへのお返事です。
「難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて罷らむ見る母なしに(万葉集4330/丸子多麻呂)」

> いやはや、東京の富岡八幡宮で
> 凄惨な事件が起きました。

よりさんこんばんわ、ご無沙汰していますが神奈備さまのお話相手ありがとうございます。
新年早々に実に衝撃的な事件っでしたね私も大変おどろいています。子孫代々まで祟るだなんて情念が今の人間に残っているとは思ってもいませんでしたね。

それと住吉のお田植祭りの写真ありがとうございます。住吉のお兄ちゃんも多分喜ぶでしょうねこれからちょっと住吉のお兄ちゃんに挨拶してきます

よりさんには江ノ島のチューリプをどうぞ


「なぎさの音の こだまする 巌窟こもり 幾星霜
   静寂を刻む 白波に 星がふけゆく 江ノ島の夜(言蛇)」
http://www.youtube.com/watch?v=_vBB_tFdPao

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: 母の日

 投稿者:神奈備  投稿日:2018年 5月20日(日)16時58分42秒
返信・引用 編集済
  > No.1864[元記事へ]

言蛇さんへのお返事です。

> 神奈備さまこんばんわ、どうもご無沙汰いたしておりますがお変わりはないでしょうか。
> 母の日を迎えたので今晩は花を飾りに伺いました。新年のあいさつが遅れていますが本年もよろしくお願いします。それではまた


 今年は暑くなるのが早かったですね。靭公園のバラの既に峠を越えたような咲き方です。


 

母の日

 投稿者:言蛇  投稿日:2018年 5月14日(月)00時15分5秒
返信・引用
  「我れのみや かく恋すらむ かきつはた
    丹つらふ妹は いかにかあるらむ(万葉集1986)」
http://www.youtube.com/watch?v=2skP4y5PBlQ

神奈備さまこんばんわ、どうもご無沙汰いたしておりますがお変わりはないでしょうか。
母の日を迎えたので今晩は花を飾りに伺いました。新年のあいさつが遅れていますが本年もよろしくお願いします。それではまた

「時雨も緩む 春の風 雲たなびきて 五月からまる 蛙の音(言蛇)」

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: 五十猛のグロ

 投稿者:より  投稿日:2017年12月 8日(金)14時31分19秒
返信・引用
  > No.1861[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

>  『八重葎』(やえむぐら)宝暦九年(1759)の作品ですが、これに「沖に竹島あり、其の磯だから磯竹と言うと記す」とあり、これは太田市五十猛町の昔の名前が磯竹であったことを説明しています。この竹島は欝陵島のことであり、現在の竹島(江戸時代は松島、朝鮮名は独島)ではなさそうです。
>
>

この神社に関しては、このサイトにも掲載されてますね。
ありがたく拝読しました。
「五十猛」に関しては先ずこのサイトを覗きましょう。
神社と鉱物資源の因果関係もここでお勉強しました。

神社探訪の初心に戻って氏神様を再度。。
当地の古書には「青葉の笛」献上の記事がありますが
献上先の朝廷方の日記には。。。
未だ見つけていません。。
持ち越しのお正月でしょうか。
 

継承問題

 投稿者:より  投稿日:2017年12月 8日(金)14時22分14秒
返信・引用
  いやはや、東京の富岡八幡宮で
凄惨な事件が起きました。
それにしても神社継承の確執が多発してますね~。。
以前、宇佐神宮も大混乱状態でしたが、、
どうなったんでしょうか。。
そう言えば京都の古刹でもありましたね~~
「聖職」であるべき官位、「物欲」が絡むと
凄惨な事件になりますね。
当地、鹿児島神宮の場合、神宮永年勤続の方が
継承されて久しいです。毎日穏やかに精勤されてます。

http://yorihime3.net/jisya/hachiman.html

 

Re: 五十猛のグロ

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年12月 6日(水)14時35分20秒
返信・引用
  > No.1860[元記事へ]

よりさんへのお返事です。

> 島根県太田市の五十猛神社のお祭りをテレビで見ました。
> 神話伝承の説話が登場しますね~~。。
>

 『八重葎』(やえむぐら)宝暦九年(1759)の作品ですが、これに「沖に竹島あり、其の磯だから磯竹と言うと記す」とあり、これは太田市五十猛町の昔の名前が磯竹であったことを説明しています。この竹島は欝陵島のことであり、現在の竹島(江戸時代は松島、朝鮮名は独島)ではなさそうです。

 

五十猛のグロ

 投稿者:より  投稿日:2017年12月 2日(土)20時28分41秒
返信・引用
  島根県太田市の五十猛神社のお祭りをテレビで見ました。
神話伝承の説話が登場しますね~~。。

今、話題沸騰の当地の「韓国宇豆峯神社」のご祭神ですね。

ついコメントしています。

http://yorihime3.net/jisya/uzumine.html

 

Re: 蝦夷抗戦

 投稿者:より  投稿日:2017年12月 1日(金)18時18分20秒
返信・引用
  神奈備さんへのお返事です。

> よりさんへのお返事です。
>
>  創建時、宇豆峯の頂上に勧請したと考えれば、韓国岳がきれいにみえたなどと想像するのも楽しいですね。


そう思って登ってはみましたが。
山頂は直径3m程で孟宗竹が群生して足の踏み場も。。
藪が茂って展望できませんでした
只南方は絶壁の覗き風で身が引き締まりました。
桜島がちょっとだけ見えました

かなり崩落が激しいから
昔はもっと高かったのでは。

登ってから月日が一巡りしました。
あの日も崩落個所を避けてやっとの思いで。
写真をとれなかったので再度トライを


http://yorihime3.net/jisya/uzumine.html

 

Re: 蝦夷抗戦

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年11月30日(木)19時54分5秒
返信・引用
  > No.1857[元記事へ]

よりさんへのお返事です。

 創建時、宇豆峯の頂上に勧請したと考えれば、韓国岳がきれいにみえたなどと想像するのも楽しいですね。
 

Re: 蝦夷抗戦

 投稿者:より  投稿日:2017年11月27日(月)04時15分40秒
返信・引用
  > No.1856[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> >
> > ご案内した「韓国宇豆峯神社」と「剣神社」
>
> 参詣時の感動がよみがえりました。
> 宇豆峯が神体山になるのでしょうが、韓国岳は関係ないのでしょうか。
>

ちょっと深夜激痛でまんじりともせず、、
ベッドでiPadを。。見つけました。

時間があれば、まだ隼人抗戦蹟らもご案内したかったところです。
予定通り消化できなくて申し訳なく思っておりました。

神社の鎮座地からは、韓国岳は望めませんが
ちょっと離れると霧島連山を一望出来ます。
扇状地に立地する旧国分市街地からは
同様に一望でき綺麗です。

この「韓国」関連は
宣長が「古事記伝・15巻p84」で
「韓国」の解説にこの神社を挙げていますので
それ以上の見解は見出せません。

確かに、船団を率いてこの地に上陸したとすれば
錦江湾途中で、霧島連山が一望できます。

宇豆峯は、オベリスク状の小山ですから
海上からは良い目印になったことでしょう。
明治期までは、河岸段丘の遠浅の海と川がまじりあう地域だったようです。
その麓に神社を勧請した、頷けます。

http://yorihime3.net/jisya/uzumine.html

 

Re: 蝦夷抗戦

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年11月26日(日)16時04分28秒
返信・引用
  > No.1855[元記事へ]

よりさんへのお返事です。


>
> ご案内した「韓国宇豆峯神社」と「剣神社」

参詣時の感動がよみがえりました。
宇豆峯が神体山になるのでしょうが、韓国岳は関係ないのでしょうか。


 

Re:蝦夷抗戦

 投稿者:より  投稿日:2017年11月21日(火)14時33分45秒
返信・引用
  > No.1854[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

話題が膨らんで「蝦夷」が登場しました。

実は、蝦夷時代の軍港。
香取神宮と鹿島神宮

に酷似している鎮座地の配置があります。

ご案内した「韓国宇豆峯神社」と「剣神社」

香取神宮と鹿島神宮
この2社は、蝦夷抗戦時の軍事の重要な寄港地となった処。
ご祭神は「軍神」と云われる由縁だが、、

蝦夷抗戦と同じく「熊襲抗戦」の激戦地
ここに「軍神」を祭祀する神社を勧請して鎮護する。。
頷けます。

これらは一応、韓国宇豆峯神社の考察に。

☆剣神社
☆韓国宇豆峯神社
☆宇豆峯遠景

http://yorihime3.net/jisya/uzumine.html

 

Re: 大穴持神社と蝮

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年11月21日(火)11時52分40秒
返信・引用
  > No.1853[元記事へ]

よりさんへのお返事です。


> それは勘違いでは?
> 向こうの鎮座創建年とはずれます。当地の方が早い。

あ! そうですね。失礼いたしました。

 

Re: 大穴持神社と蝮

 投稿者:より  投稿日:2017年11月21日(火)10時27分32秒
返信・引用
  > No.1852[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

盛り上げて頂いてありがとうございます。

>
> 蝦夷の鎮圧が目的の神を大隅に勧請して鎮火の神として祀る。
>
> どうにも合点がしにくい所、例えば岩木山神社の場合には鎮火の祭りも行われていて、祭神は宇都志国玉命すなわち大穴持神、これの勧請の方が理解しやすいところです。

それは勘違いでは?
向こうの鎮座創建年とはずれます。当地の方が早い。

実際、続日本紀で
当地に「大穴持神」が勧請・鎮座された頃は
東北では蝦夷の抗戦があって、捕虜として福岡の太宰府預けとなってます。
もし日向へ配流され当地へきたのであれば
まんざらでも。
只、年代的には、、、

===>>考察をご覧ください。

http://yorihime3.net/jisya/onanji.html

 

Re: 大穴持神社と蝮

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年11月21日(火)10時00分50秒
返信・引用
  > No.1851[元記事へ]

Yoriさんへのお返事です。

蝦夷の鎮圧が目的の神を大隅に勧請して鎮火の神として祀る。

どうにも合点がしにくい所、例えば岩木山神社の場合には鎮火の祭りも行われていて、祭神は宇都志国玉命すなわち大穴持神、これの勧請の方が理解しやすいところです。
 

Re: 大穴持神社と蝮

 投稿者:Yori  投稿日:2017年11月21日(火)02時17分48秒
返信・引用
  神奈備さんへのお返事です。

> よりさんへのお返事です。
>
>  桜島の噴火を鎮める神として大穴持神が津軽から勧請されたということでしょうか。津軽は岩木山などの火山があり、噴火の度に勧請されてきていると記憶しています。


私のページをご覧ください

http://yorihime3.net/jisya/onanji.html

 

Re: 大穴持神社と蝮

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年11月20日(月)20時25分6秒
返信・引用
  > No.1849[元記事へ]

よりさんへのお返事です。

 桜島の噴火を鎮める神として大穴持神が津軽から勧請されたということでしょうか。津軽は岩木山などの火山があり、噴火の度に勧請されてきていると記憶しています。
 

Re: 大穴持神社と蝮

 投稿者:より  投稿日:2017年11月17日(金)08時01分36秒
返信・引用
  神奈備さんへのお返事です。

> 鹿児島県神社庁の大穴持神社の由緒に、大穴持神が「蝮に咬みつかれた」とあります。大穴持神の終焉の地ということでしょうか。
>

国分諸古記の引用となってますが
その出自を見出していません。
大穴持神、津軽から勧請の伝承については
リンクのページで考察しています。

==>>初期の島津氏は、この津軽や岩手、金沢辺りも知行していたようです。
それらを冠しているので何かなと?
詳細は未精査です。
島津国史も全巻手元にありますので、のんびり紐解きたいと。

「蝮蛇(まむし)」に関しては
座右の書 三国名勝図会 に記載があります。

マムシ除け祭事は、各地で散見されます。
往古、海浜の沼地や山間部の湿地帯に鎮座する神社に多いです。

実際、昭和30年代は、よく蝮を見かけました。
当地の湯治場でも「蝮にかまれた」と治癒に日参される方も。

最近の宅地造成で、様変わりして面影はありません。

続日本紀によると、
火山噴火で海に島が出現しましたが
その鎮護として「大穴持神」を勧請しています。
火山の影響で、海浜の各地で火山性のガスが噴出し
海浜の沼地や山間部の湿地帯の蝮が姿を消し
「大穴持神」のご加護と崇拝されたのでは
と推察します。

☆延喜式に登場する古社「大穴持神社」
当地では、唯一、勧請由緒、創建年が公文書で確認できるお杜です。

http://yorihime3.net/jisya/onanji.html

 

Re: 住吉のお田植え祭り

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年11月16日(木)11時43分59秒
返信・引用
  > No.1847[元記事へ]

yoriさんへのお返事です。

鹿児島県神社庁の大穴持神社の由緒に、大穴持神が「蝮に咬みつかれた」とあります。大穴持神の終焉の地ということでしょうか。
 

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