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岩屋神社

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年11月19日(火)17時27分18秒
返信・引用
  京都市山科区大宅中小路町67

http://kamnavi.jp/as/uda/ugauga.htm

 
 

幸神社

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年11月17日(日)20時08分56秒
返信・引用
  幸神社 京都市上京区寺町通今出川上ル西入ル幸神町

http://kamnavi.jp/as/uda/ugauga.htm

 

TAMIさんへ、替えの服です。

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年11月16日(土)12時45分2秒
返信・引用 編集済
  「秋つ葉に にほへる衣 我れは着じ
   君に奉らば 夜も着るがね(万葉集2304)」


TAMIさんへ、とりあえずこの服でも着ていてください。
箪笥を探したのですが、あいにく似合いそうな服がなかったよ。


なにやらタヌキが湧いていますが、風淋堂主人はそのような戦い方をしていたかなあ?

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: 那覇大綱引き

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年11月15日(金)20時18分57秒
返信・引用
  > No.1718[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

迫力ありますね。神社か御嶽はからんでいないのでしょうか、

玉祖神社 八尾市神立443番地

神社前の楠木にあります。

http://kamnavi.jp/as/uda/ugauga.htm

 

那覇大綱引き

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年11月15日(金)10時00分48秒
返信・引用 編集済
  神奈備さん

 綱に関しては負けませんよ~(笑)。
 画像は那覇大綱引きの風景ですが、女綱と男綱を結合させるイカガワシイ棒は「かぬち棒」と呼びます。

 この時ばかりは、米兵も中国人観光客も、宮司さんもクリスチャンも、自民党も共産党も、あるいはライバル会社の面々など、立場を超えて一緒に綱を引きますね。どちらの綱を引こうが関係ない。
 五穀豊穣はもちろんの事、天下太平を目して人々が結ばれる。。。と言えば楽観的すぎるでしょうか。
 

性神紀行

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年11月14日(木)19時34分24秒
返信・引用
  素盞嗚神社 奈良県桜井市江包 大西

http://kamnavi.jp/as/uda/ugauga.htm

 

(無題)

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年11月12日(火)16時33分1秒
返信・引用
  宇賀神社 奈良県宇陀郡菟田野町宇賀志


http://kamnavi.jp/as/uda/ugauga.htm

 

Re: 性神紀行

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年11月11日(月)21時42分54秒
返信・引用
  > No.1714[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

> 写真は、与那国島の「立神」

見事なものですね。

九日神社 奈良県桜井市芝812 

http://6314.teacup.com/kamnavi/bbs/

 

Re: 性神紀行

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年11月11日(月)09時53分57秒
返信・引用 編集済
  神奈備さんへ

 これから「道祖神」とか絡んできそうですね。
 なんか、妙に楽しみです。

写真は、与那国島の「立神」と女性の下腹部を表すとされる墓群
 

性神紀行

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年11月10日(日)13時21分55秒
返信・引用
  船山神社 奈良県生駒郡平群町大字三里字船山

http://6314.teacup.com/kamnavi/bbs/

 

Re: 熊野御師の文

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年11月 9日(土)14時15分12秒
返信・引用 編集済
  > No.1700[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 応永年間に書かれた熊野御師の文らしい、
>
> どなたか読み解いて頂けますか?

TAMIさまこんにちわ、すっぽんぽんなところ失礼します。

写真の文に関しては自力で読めないのであれば、あなたにはまだその時期ではない
ということでしょう。ネットには古文書ネット(http://www.komonjyo.net/)のよ
うなものもありますし、博物館ではよく古文書入門講座が開かれています。
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/p420959.html
TAMIさんは最近、博物館にいかれていますか?
なんにせよ、古文書についてはネットで読み書き投稿できる場を設ける場が必要でしょうか。

ところでTAMIさまは、武田双雲氏の書とかは見たことがあるでしょうか?


写真は上野動物園のヒグマです。熊を御すならこちらのほうがより確実。

 「荒熊の 棲むといふ師歯迫山
    責めて問ふとも 汝が名は告らじ(万葉集2696) 」  

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: 長尾神社(編集中)

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年11月 3日(日)11時06分0秒
返信・引用
  > No.1710[元記事へ]

言蛇さんへのお返事です。

> 「狩高の 高円山を 高みかも
>   出で来る月の 遅く照るらむ(万葉集981)」

春日野は日の出の場所であると共に月の名所だっとようです。
阿倍仲麻呂の望郷の思いも、ここのおぼろ月だったのでしょう。
 

長尾神社

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年11月 2日(土)14時28分0秒
返信・引用 編集済
  「狩高の 高円山を 高みかも
  出で来る月の 遅く照るらむ(万葉集981)」

神奈備さま、こんにちわ。
青草談話室の「藤原氏の方法論」にちなんで、奈良県の長尾神社の写真を掲示さ
せていただきます。この辺り一帯には春日大社の本社旧殿を譲り受けた神社がい
くつもありますね。春日大社遷宮のたびに旧殿を鈴鹿の方角へ寄進(?)してい
るのは、これだけで論文一つになりそうです。

社名:長尾神社
住所:奈良市阪原町1625

祭神:「火漢」速日尊
    (「私は饒速日尊ではない尊」という意味か?)
例祭日:10月17日

由緒記(昭和六十二年十月吉日建立):
当社は奈良市阪原町中村集落の西端、小字林光山に位置し氏神としてこの里を守護し給うている。
御神徳は庶民安楽と五穀豊穣、特に悪霊退散の守り神として人々が恐れる「ウルシ」の生木を箸
にして食べられたことから今も「ウルシ」の箸でお供えをしている。
 鎮守の森に千木高知りて鎮まります本殿は春日大社の本社旧殿を譲り受けたもので昭和三十年
に国の重要文化財に指定されている。
 社地は約400坪を占め入り口に鳥居を配し正面に拝殿、その奥の一段高い社地に本殿を建
て境内社に右手に御霊神社、周囲に末社11社を祀っている。社地の回りを板垣で囲み拝殿前の
広場には右手に座小屋、左手に社務所、中央に能舞台を設けている。
 社宝として能面四面「尉」「白色尉」「延命冠者」「悪相」があり、いずれも室町時代の作と
して奈良県文化財の指定を受けている。なお御霊神社の前には享徳三年(1454年)甲戌四月
「願主清都」寄進の四角形灯篭があり鳥居前には享保元年(一七一六年)丙牛の刻銘入りの手水
鉢がある。神社の周囲に多くの古墳が点在していることからこの地域が早くから開けていたこと
が明らかである。
 恒例の秋の大祭は十月十六日が宵宮祭、十七日が大祭り、十八日が後宮祭りとなっている。
古くは宮座があったが現在は町内六つの垣内から順番に大人二十五名、子ども十二名を斎役と決
め南明寺御旅所へのお渡りをし、おどけたしぐさの神事が奉納される。


写真下は、長尾神社の神武天皇逍遥碑

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

有鹿神社

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年10月27日(日)13時50分47秒
返信・引用 編集済
  「夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は
  今夜は鳴かず 寐ねにけらしも(万葉集1511)」

神奈備さまこんにちわ。
横浜市歴史博物館の展示「水へのいのり」で触れられていた有鹿神社です。
この神社、遺跡もふくめると大きなスケールの話が隠れていそうです。纏め
ることができたら有鹿天神社として後日、奉納しましょう。

空では自衛隊の国産哨戒機P-1がひっきりなしに往復するのが見られます。
周辺の田はぶじに稲刈りも終わり藁帽子が歩いています、かわいい(^^)。


住所:(〒243-0434)神奈川県海老名市上郷1丁目4-41
祭神:有鹿明神

「由緒書抜粋」
はるか遠い昔、相模台地は海底の隆起により出現する。有鹿谷の泉を水
源としこれより流れ落ちる鳩川(有鹿河)の流域に人々は居住し有鹿郷
という楽園が形成された。縄文の頃より有鹿の泉は水神信仰されてきた
が弥生の頃より農耕の発展に伴い人々は農耕の安全と豊穣を祈り水引祭
を起こし有鹿大明神と称え有鹿神社を創建した。有鹿谷の奥宮、鳩川中
流座間の中宮、相模川に合流する地の本宮がある。神社の境内は有鹿の
森であり、松なしの森ともいわれる。

奈良平安のころ相模国府は有鹿郷に所在し有鹿神社は延喜式内社随一の
社格を有した。天智天皇三年(664)、初めて祭礼を行い天平勝宝6年、
8年、藤原廣政の社殿の修理と墾田500町歩の寄進を受け貞観11年
(869)従五位上に昇階し永徳元年(1381)正一位の極位となる。明神
大縄(参道)は社人の住む社家を経て寒川に至り一大縄は相模国分寺に
いたる。

*****************************************************************
『有鹿姫の伝説(海老名市hpより抜粋)』

 今から約五百年前、愛川の小沢というところに金子掃部助という武将
がいました。金子掃部助は、関東管領山ノ内上杉家の家来、長尾景春が
起こした戦に加わりましたが、武運つたなく破れ、小沢城を捨てて敗走
しました。この掃部助と奥方の間には、美しい姫君がいました。姫は早
くから有鹿の地、すなわち海老名の河原口に住んでいた郷士の青年と婚
約中で河原口にある海老名館に来ていましたが、「小沢城危うし!」と
いううわさに、急いで小沢に戻りました。しかし、時すでに遅く父は戦
死、母は行方知れずと聞き、すっかり生きる望みを失いました。覚悟を
決めた姫は、見苦しい姿を人目にさらしたくないと、薄化粧をして、ま
だ燃えている小沢城を後に天に向かって手を合わせると、ざぶん!と相
模川に身を投げたのでした。するとどうでしょう。美しかった姫の体は、
たちまち恐ろしい大蛇に変わり、大きくうねりながら下流に向かって泳
ぎ出しました。途中、六倉という所で大きく身震いすると、相模川の水
が舞い上がり、中津の原に大きな水たまりができました。さらに水しぶ
きを上げながら進み、河原口に近ずくと、姫は再び人間の姿に戻り、息
絶えて有鹿神社の裏の河原に打ち上げられました。神社の氏子らは、海
老名の地に嫁ぐ日を夢みていた姫の死を悲しみ、せめてもにと「有鹿姫」
の名を贈り、神社の片隅に、その亡きがらを葬りました。現在、有鹿神
社と有鹿小学校の間には、若くして散った有鹿姫をしのぶ碑が建てられ
ています。
*****************************************************************

http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/

 

Re: 伴林氏神社(ともばやしのうじ)の例大祭

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年10月18日(金)13時34分54秒
返信・引用 編集済
  > No.1706[元記事へ]

神奈備様へのお返事です。

> > 数日前に、この神社で「ハヤシライス祭り」として、藤井寺市内の洋食店数件のコックさんに、境内でハヤシライス味の競演祭りをやったらいかがですかと提案させていただきました。
> コックさんに提案との文脈になってしまいましたが。宮司さんにです。

ハヤシライスですかー、あれはカレーより手数が掛かるんで食堂では好まれないんですが
刺激が強くないので神社勤めの人には合いそうですね。伊勢の方の様子ですと甲州の赤ワ
インで煮込んだ肉なら「信玄公の血肉入り」としていっそう喜ばれそうです。成功すると
良いですね。

写真は甲府の雁坂街道に広がる葡萄畑です。


「我が宿の い笹群竹 吹く風の
   音のかそけき この夕かも(万葉集4291)」

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: 藤森稲荷は伏見稲荷

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年10月18日(金)13時09分10秒
返信・引用
  > No.1695[元記事へ]

「吉野川 行く瀬の早み しましくも
   淀むことなく ありこせぬかも(万葉集0119)」

TAMIさん、こんにちわ。
いまは何をしているのでしょうか?

TAMIさんお気に入りの哲学者、梅原猛氏ですがどうやら「泳げない河童」を下の方に
流してしまったようです。TAMIさんには申し訳ありませんが私のほうから梅原猛氏に
軍服の類は下ろせませんのでご容赦ください。それと「河童」を気取らさせるのなら
その者に水泳が現実に出来るかどうか必ず確認するよう願います。

この様子ですとクリスマスにはヤマトタケルの肉が各家庭の料理を飾るのでしょうね。
(「マリアナの七面鳥撃ち」はご存知でしょうか?)

写真は珍しい虎の狛犬です。



http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: 伴林氏神社(ともばやしのうじ)の例大祭

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年10月14日(月)19時41分19秒
返信・引用
  > No.1705[元記事へ]

> 数日前に、この神社で「ハヤシライス祭り」として、藤井寺市内の洋食店数件のコックさんに、境内でハヤシライス味の競演祭りをやったらいかがですかと提案させていただきました。
コックさんに提案との文脈になってしまいましたが。宮司さんにです。 
 

伴林氏神社(ともばやしのうじ)の例大祭

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年10月13日(日)16時13分8秒
返信・引用
  > No.1704[元記事へ]

言蛇さんへのお返事です。

藤井寺市林に鎮座する伴林氏神社(ともばやしのうじ)の例大祭が行われ、禰宜をされている村山左近さんが神楽を奉納されました。日本最強の武神にささげる神楽らしく力強い威風堂々の舞でした。

数日前に、この神社で「ハヤシライス祭り」として、藤井寺市内の洋食店数件のコックさんに、境内でハヤシライス味の競演祭りをやったらいかがですかと提案させていただきました。  
 

穂高太鼓・飛龍三段返し

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年10月12日(土)14時31分10秒
返信・引用
  「燃ゆる火も 取りて包みて袋には
  入ると言はずや 面智男雲(万葉集0160・ 持統天皇)」

神奈備さま、こんにちわ。
伊勢神宮の遷宮も無事終わりましたね、おもえば今年は伊勢と出雲の遷宮が重な
る大きな年ですね。
穂高神社の祭りも御船祭り・奥宮神事の両方とも、台風が過ぎ去ったあとの晴天に恵まれ
滞りなく無事に終わりました。
現人神の御心は実によく現れるものですね、これからもよろしく願います。
写真は御船祭りに奉納された穂高太鼓、演目は「飛龍三段返し」。

「梓水 穂高の空より 流れ降り
       鼓笛の響きに 耳傾ける(言蛇)」
   

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re:  ウガネットの原則

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年10月12日(土)12時56分36秒
返信・引用
  > No.1701[元記事へ]

「狭井川は 雲立ち渡る 百合の山
     絡みつく風 櫛かきならす(言蛇)」

神奈備さまへのお返事です。
私はその場に居合わせず残念です、ちょっとのぞいてみたかった。
和歌の嗜みに欠けていると、なにかと衝突して引っ込みがつかなくなるものですね。

写真は8月に撮った百合、上品な桃色に咲いています。
どうぞ♪

「灯火の 光りに見ゆる さ百合花
  ゆりも逢はむと 思ひそめてき(万葉集4087)」

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: Re:何と読むのでしょうか?

 投稿者:PONTA  投稿日:2013年10月10日(木)23時21分47秒
返信・引用
  > No.1694[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。
> 素人考えですが、「森」の「木」の下「林」を略した「メ」又は「×」ということなんでしょうか?
> 漢字辞書で画数、「木」で調べても出てきませんでした。

「異字体」というか「略字」です。
「協」「轟」「澁」「晶」「聶」「森」「攝」「壘」などの字は下の2つの同字の部分を4つの点に書き換えた略字があります。「轟」→「軣」、「澁」→「渋」、「攝」→「摂」、「壘」→「塁」。

http://pontyan1997.blog59.fc2.com/blog-entry-379.html

 

 ウガネットの原則

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年10月 9日(水)13時40分21秒
返信・引用
  ウガネットの原則と言ったこむずかしいものはありませんが、常識的なことを再確認しておきたいと思います。というのも、前月に驚くべきことが起こりましたからです。

 ある方の断言的発言に対して、別の方が疑義ではなく、「その可能性もあると言う程度のお話ですね。」と言われました。ある方がそれを聞かれて、ぶち切れたようでした。別の方に対して、ある学者さんの名をあげ、知っているか?どんな人か言って見ろ!、と大声をだされました。どうもその学者さんが、ある方のお話を認めたらしく、それを否定されたようで、頭に来たのでしょう。私達の記憶では、ウガネット史上、始めての怒声でした。

 もうおわかりですね。ウガネットは次のような常識の場なのです。

1.批判は謙虚に受け止めましょう。
2.批判はどんどん行いましょう。
3.自由で闊達な議論をしていきましょう。
4.簡潔明瞭に意見を発表しましょう。
5.来られる時間は自由です。お帰りの時間も自由です。
6.来る者はこばみませんが、ウガネットの常識を守って下さい。
7.去る者ものは追わずです。

 お互い、机を並べて、浪速の古代を勉強しましょう。よろしくお願いします。

 

熊野御師の文

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 9月15日(日)15時30分55秒
返信・引用
  応永年間に書かれた熊野御師の文らしい、

どなたか読み解いて頂けますか?
 

Re: 花園神社

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 8月30日(金)15時59分51秒
返信・引用
  > No.1698[元記事へ]

言蛇さんへのお返事です。

> 「新宿花園神社」

私も一度ですが、参詣しました。
丁度、宮司の片山文彦さんがおられまして、よもやま話をさせて頂きました。
宮司はお医者さんでした。
また、神道時事問題研究会を長く開催されていました。

著書もあります。『神社神道と日本人のこころ』は印象に残っています。
 

花園神社

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 8月30日(金)11時29分10秒
返信・引用 編集済
  新宿でたまたま見かけたのでよってみた神社です。
ちなみに私は賭け事はしない人間ですよ。

「新宿花園神社」
祭神は、倉稲魂命・日本武尊・受持神
所在地は郵便番号160-0022 東京都新宿区新宿5-17-3

花園神社は、徳川家康の江戸開府(1603)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。
徳川氏が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されたとされています。花園神社
は寛永年代(1624~1644)までは現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近に
ありました。しかし、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地
は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまったのです。そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を
拝領することになりました。その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・
水戸藩)筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたそうです。この美しい
花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。
初めて史料に花園神社の名が登場するのは、享和3年(1803)のこと。大火に遭った社殿復興を願っ
て内藤新宿町より奉納された額面に「花園社」と記されていました。「花園」という名称が正式な
ものになるのはずっと後代のことで、稲荷神社または三光院稲荷とも呼ばれ、さらに江戸時代には
地名にちなんで四谷追分稲荷とも呼ばれていたようです。

「内藤トウガラシとカボチャ」
 新宿御苑は、江戸時代高遠藩主内藤家の下屋敷でした。当時、武家では屋敷内の畑で、野菜など
を栽培し自給する習わしが一般的で、内藤家でも野菜を栽 培していましたが、中でも軽くて肥沃
な土に適したトウガラシがよくでき、内藤トウガラシと呼ばれて評判となり、新宿付近で盛んに作
られるようになりまし た。
「新編武蔵風土記稿」(1828)には、四ッ谷内藤宿及び其辺の村々にて作る、世に内藤蕃椒と
呼べり」とあり、当時は新宿周辺から大久保にかけての畑は、トウガラシで真っ赤になるほどであっ
たと言われています。
 このトウガラシは八房といって、実が房のように集まって付き、しかも上を向いて葉の上に出る
ような形になるため、熟すと畑一面が真っ赤に見えたのです。保存のできる調味食品として、庶民
に喜ばれたが、明治に入り都市化により栽培も激減し、産地も西の方に移っていきました。
 この地域ではカボチャの栽培も盛んで、「内藤カボチャ」とか「淀橋カボチヤ」ともいわれて、
この地域が産地。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: 米軍海兵隊は天皇の軍隊だった。

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 8月30日(金)11時22分18秒
返信・引用 編集済
  > No.1678[元記事へ]

ねこさんへのお返事です。


**********************************************************************************
The Lord said to Satan, ‘Very well, all that he has is in your power;
only do not stretch out your hand against him!’
So Satan* went out from the presence of the Lord.
                                 (Job: 1-12)
**********************************************************************************

Oh! You are Cactus!
My name is KOTOHEBI, I am japanese.
Nice to meet you!

I think that your plan certainly fall through.
Because you think by japanese.

Why do you use your Language Japanese??
Do you have hope of yourself Suicide??


**********************************************************************************
主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。
ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。
                             「ヨブ記 / 1章 12節」
**********************************************************************************
 

残暑見舞い

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 8月30日(金)11時14分13秒
返信・引用
  「明日香川 七瀬の淀に 住む鳥も
   心あれこそ 波立てざらめ(万葉集1366)」

神奈備さまこんにちわー、残暑見舞いにきましたよー。
八月は行事が多くて結局ネットどころじゃなくなるのを痛感します、素直に「休み中」の
宣言をしなくて後悔しました。

写真は横浜に寄港した三菱重工業長崎造船所建造の客船「飛鳥Ⅱ」と差し入れの「河豚
焼き」です。「飛鳥Ⅱ」は神戸にもにもよく寄港しているので神奈備さまにも馴染みが
深いでしょう。Wikiの記述ですと「飛鳥Ⅱ」の船員さんの多くはフィリピン人だそうで
日本人の自己表現力の低さに不甲斐なさを感じます。

それと河豚を初めて食べたんですが、食感が魚肉というよりはイカやタコに近くて口に
入れた時は眼が丸くなってしまいましたよ。一般の魚料理と別枠の珍味扱いなのに納得
しました・・・・河童も捌いて料理したらこういう味に近いかもしれませんね。

「河豚あぶり 捩る実ながめ 耳澄ます 空に花火が こだまする(言蛇)」

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

Re: 藤森稲荷は伏見稲荷

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 8月18日(日)16時09分49秒
返信・引用
  > No.1693[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> 今でも、伏見稲荷の近辺の方は藤森神社の氏子です。
>
> 伏見稲荷の地名は藤森と呼ばれていたのでしょう。

ありがとうございます。

「トコロテン遷座」というのは、大変判りやすいです、

八百万の神を祀る我が国特有の方式みたいですね、

内宮も摂社末社など沢山ありますが、「トコロテン式」

みたいなものなんでしょうか。
 

Re: Re:何と読むのでしょうか?

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 8月18日(日)15時52分55秒
返信・引用
  > No.1692[元記事へ]

> いこまかんなびさんへのお返事です。
> > >写真の□□ナカ
> >
> > >   □□文四郎
> >
> > >    同 傳四郎
> >
> > >何と読むのでしょうか?
> >
> >
> > 多分、□の字は、近世文書に多い異体字の「森」、つまり大森さんだと思います。
> >
> > 今日、図書館で思い出して古文書辞典を見たら出てました。
> >
> > (また、春から前の職場の手伝いに行ってます。)

ありがとうございます。

素人考えですが、「森」の「木」の下「林」を略した「メ」又は「×」ということなんでしょうか?

漢字辞書で画数、「木」で調べても出てきませんでした。
 

Re: 藤森稲荷は伏見稲荷

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 8月17日(土)09時00分28秒
返信・引用
  > No.1689[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 藤森稲荷は伏見稲荷大社のことだという説(サイト)ありますが、
>
京都の伏見稲荷の場所には、元々、藤森神社が鎮座していました。
>
http://kamnavi.jp/yamasiro/fujinomori.htm

今でも、伏見稲荷の近辺の方は藤森神社の氏子です。

伏見稲荷の地名は藤森と呼ばれていたのでしょう。
 

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