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縁結比乃大神

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月17日(金)15時14分57秒
返信・引用
  ケヤキ大木に神やどる

長野市式内社美和神社境内

縁結比乃大神
 
 

Re: 「ヤタガラスの陰謀」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月14日(火)11時34分33秒
返信・引用
  > No.1629[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

>  沖縄の来訪神にアカマタ・クロマタが居ます。豊饒と再生をもたらす神々のようですが、大和では疫病を防ぐために、墨坂と大坂に祀られました。
>
>  式内であるか否かは、石清水八幡宮のように、神前にナマモノを奉じないような、僧侶が牛耳っている場合、式内社に列せられなかったようです。墨坂神社も神宮寺に遍照山薬王院天野寺があった時代があり、寺僧が跋扈していたのかもしれません。


墨坂神は渡来系なんですか
アカマタというのがゲゲゲの鬼太郎にありました、

「僧侶が牛耳る」というが正解のように感じます、

同様に式内社でない神社は、「篠畑神社」があります(天照大神の巡幸地のひとつ。一説に式内社の御杖神社を篠畑神社にあてる考え方もありますが)。という情報もありました。

kamnavi.jp/as/uda/sasahata.htm (篠畑神社)
 

Re: 「ヤタガラスの陰謀」

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 5月12日(日)14時19分28秒
返信・引用
  > No.1626[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

 沖縄の来訪神にアカマタ・クロマタが居ます。豊饒と再生をもたらす神々のようですが、大和では疫病を防ぐために、墨坂と大坂に祀られました。

 また、『日本書紀』巻十四雄略天皇七年(癸卯四六三)七月丙子《三》に次のような記述があります。
七年秋七月甲戌朔丙子。天皇詔少子部連スガル曰。朕欲見三諸岳神之形。〈或云。此山之神爲大物代主神也。或云。菟田墨坂神也。〉

 三輪の大物代主神と墨坂神とは同体かとも云っているようです。

 式内であるか否かは、石清水八幡宮のように、神前にナマモノを奉じないような、僧侶が牛耳っている場合、式内社に列せられなかったようです。墨坂神社も神宮寺に遍照山薬王院天野寺があった時代があり、寺僧が跋扈していたのかもしれません。
 

「越智神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月11日(土)19時06分28秒
返信・引用
  http://www.mapion.co.jp/m/36.7766194724119_138.3727707919457_10/

長野県中野市越170 越智神社

式内社

本殿の横に大きな石二つ、

川、水に関する神社が多いように思われます。

元は山頂にあったらしい、
 

「若伊香保神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月11日(土)11時02分49秒
返信・引用
  http://www.mapion.co.jp/m/36.46312449939538_138.9980891124441_10/

式内社「伊香保神社」の元社地と言われているようです、

上野国神名帳(総社本549社)の研究によれば、江戸末期に復活したとあります、

鳥居が妙に低い、境内社殿の左に大きな石があります、

裏に、庚申塔が多数、

境内の石は、人工的に運んだのか、それとも自然石か、

神倉のゴトビキ岩は人工的に加工されたものという説もあるようです、

石・石塔・石段・石鳥居、石がテーマ?


 若伊香保神社(わかいかほじんじゃ)

群馬県渋川市有馬1549

【祭神】大名牟遲神 少彦名神
 

Re: 「ヤタガラスの陰謀」

 投稿者:多美  投稿日:2013年 5月11日(土)09時40分33秒
返信・引用
  神奈備さんへのお返事です。

> ただ、『紀』に、崇神天皇の時、神々が荒れたので、大和への東の入り口にあたる当地の墨坂の神に赤色の楯矛を祭り、西の大坂の神に墨色の楯矛を祭ったと言う話が載っており、大和の東の境の神として重要視されていたようです。

墨坂神社(宇陀郡)が式内社でないのは”不思議”という主張は神奈備さんしか見当たりませんが、

「墨坂神」とはどんな神様だったのでしょうか(現在の6神ではなかったのでは)、

紀の背後には天武持統(裏に不比等)、何か魂胆があってのことではないでしょうか?

式内社は、現在でも当時の神社名が多いのは当然のことだと思いますが、

須坂市の墨坂神社が式内社で、本家の墨坂神社は式内社ではない、・・・・・・

この辺の事情はどの様に理解したらよいのでしょうか。

崇神の頃には(紀編纂時)墨坂神は大和朝廷に必要な神であったが、延喜の頃にはもう用無しになった、
これを察知して須坂へ逃亡した???
須坂「墨坂神社」は八幡宮を勧請し社家を祀っている、

なんて、邪推しています。
 

Re: 「ヤタガラスの陰謀」

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 5月 4日(土)14時33分57秒
返信・引用
  > No.1624[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 墨坂神社が式内社から漏れているのは不思議?
>
> 墨坂神社式内社漏れは「ヤタガラスの陰謀」では。

面白い着眼です。流石ですね。

ただ、『紀』に、崇神天皇の時、神々が荒れたので、大和への東の入り口にあたる当地の墨坂の神に赤色の楯矛を祭り、西の大坂の神に墨色の楯矛を祭ったと言う話が載っており、大和の東の境の神として重要視されていたようです。

 

「ヤタガラスの陰謀」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月 4日(土)09時54分34秒
返信・引用
  式内社

宇陀郡榛原町(現宇陀市)に式内社が7社あるようです、

墨坂神社が式内社から漏れているのは不思議?

「アマテラスの誕生」212Pに面白い記述があります、

 文武天皇の慶雲二年(705)九月には、『続日本紀』によれば「八咫烏の社を大倭の国宇多
 郡に置いて、これを祭る」とあります。この記事は、この年の直前に神武天皇の八咫烏伝説と いうものが形を整えられて、正史の中に大きくその位置を与えられることに決まったので、急 いでその説話の具象化を行なった、そのあらわれにちがいありません。・・・・・

榛原の地は、神武天皇の大和侵入説話にとって重要な地であった、

これに都合の悪いことが墨坂神社にあったのでは?

墨坂神社式内社漏れは「ヤタガラスの陰謀」では。

しかし、大和の国は遠すぎます。
 

「健御名方富命彦神別神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月 3日(金)09時01分42秒
返信・引用
  http://www.mapion.co.jp/m/36.65856591921194_138.1952802203263_10/

長野県長野市箱清水1-3(長野市大字長野字本城東2411)

http://www.mapion.co.jp/m/36.65750112944635_138.19493788942174_10/

城山公民館別館(旧蔵春閣)

式内社論社

境内鳥居横にプレハブが設置されています、

工事でも始まるのでしょうか?

右に見えるのは旧蔵春閣、異様な雰囲気です、

善光寺北から移転したようですが、社殿は、守田廼神社へ移築、

いろいろ事情があるようです。
 

「笠原神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月 2日(木)16時13分53秒
返信・引用
  長野県中野市笠原 408

http://www.mapion.co.jp/m/36.77595048882417_138.36279687609397_10/

明治6年4月郷社になったようですが、境内が狭いように思いました、

掲示板によれば、式内社として認知される努力をしたようです、
 

Re: 須坂「小坂神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月 2日(木)15時25分22秒
返信・引用
  > No.1620[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> 笠原神社の論社は承知していません。玄松子も同様。

※高井郡式内六社の中で、社名と社地が確定しているのは当社だけです。(小坂神社)

この記述を鵜呑みにしてしまいました。間違いでしたでした。


> 墨坂神社の元社は大和国宇陀郡に鎮座していますが、式内社にはなっていません。何故でしょうかね。

神武東征を邪魔したことに原因があるのでしょうか?

須坂は墨坂からとったらしい、縁が深いのでしょうか?

大和に式内社286座、明治36年2024社、圧倒的な数ですね、

何か因縁でもあったのでしょうか?
 

Re: 須坂「小坂神社」

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 5月 1日(水)20時29分12秒
返信・引用
  > No.1619[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 式内社高井郡 6座 小6座
>
> 墨坂神社2(論社)
> 越智神社3
> 小内神社3
> 笠原神社2
> 小坂神社0
> 高社神社2
>

笠原神社の論社は承知していません。玄松子も同様。

墨坂神社の元社は大和国宇陀郡に鎮座していますが、式内社にはなっていません。何故でしょうかね。
 

須坂「小坂神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月 1日(水)18時51分34秒
返信・引用
  式内社高井郡 6座 小6座

墨坂神社2(論社)
越智神社3
小内神社3
笠原神社2
小坂神社0
高社神社2

この神社に論社はないらしい、

間違いないと思います、

景色が違います、

動かないのが証拠?


 小坂神社(おさかじんじゃ)

長野県須坂市大字井上字小坂2578
旧信濃国 高井郡    上高井支部 13018
【祭神】小坂神 譽田別命


鎮座地 須坂市井上小坂二五七八
当社は十世紀の延喜式に載せられている名神です。祭神は古代この地方一帯を開発した氏族の祖神又は勤請神と考えられますが具体的には不明です。十一世紀後半清和源氏井上氏がこの地に入国して当社後方に居館を営んだとき八幡神を当社に祀りました。
高井郡式内六社の中で、社名と社地が確定しているのは当社だけです。鎌倉時代の史料に、地名「小坂」が現われ、現在まで続いているからです。
境内は北信濃特有のケヤキの純林で、須坂市天然記念林に指定されています。
以上

http://www.mapion.co.jp/m/36.62846382055232_138.2870169070795_10/
 

Re: 何と読むのでしょうか?

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 4月21日(日)15時09分37秒
返信・引用
  > No.1616[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> いこまかんなびさんへのお返事です。

困った時の神奈備頼み!

ありがとうございます。
 

Re: 何と読むのでしょうか?

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 4月21日(日)14時57分32秒
返信・引用 編集済
  > No.1613[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

四十九「前」と「膳」の違いは、帳箱を見せていただき古老にお話を聞きました。

宮司さんは氏子でないので参加?できないようです、宮司さんこの黒い箱は外から見たことはあるが中は見たことないようです、

どの様な神様なのか判らないようです、

文書は、お金の関するものが多いようです、

「利足取立帳」(文久元年)などもあります、

これに参加していた人は犬伏宿(例幣使街道)全域にわたっていたようです、

古老の話では、利息で祭りを行っていた(一世代前)とのこと、

ひそかに「善」行を行っていた?

四十九膳神

近くの神社の宮司さんの見解、以前の鎮座地は共同墓地の近くにあったようで、四十九という事から仏教に関するものではないか、とのことでした、

古老の話では、ため池に近くにあった(子供の頃水浴びして記憶している)、

本社の露垂根神社(つゆしねじんじゃ)

藤原秀郷がアベノセイメイの占いで、唐沢山頂に烏の羽を刺して、水が湧き出した、厳島から勧請、
その後、築城により引っ越しした(二度)、

これから、関係者と調べてみたいと思います。
 

Re: 何と読むのでしょうか?

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 4月21日(日)14時10分43秒
返信・引用
  > No.1614[元記事へ]

いこまかんなびさんへのお返事です。

> 四拾九膳神家根替并山伐覚之帳 では
> 屋根替(修理)ならびにその木材を切り出した諸費用を記録したものでしょうか
>
> >四十九膳神佐屋入費帳
> >佐屋とは何でしょうか?
>
> 社殿の覆い屋(さや殿・さえ殿とか)意味でしょうか、その建築に要した費用の記録。

ありがとうございます。
流石、納得できます。
 

Re: 「四十九(よそく)神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 4月21日(日)13時47分40秒
返信・引用
  > No.1612[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

四十九をテーマで祭りデータには「四十九神社」「四十九池神社」四十九所神社」と「四十九前神社」の四社でした、

この神社の鎮座地は「久保田」元は「窪田村」、隣り「高松村」、平坦部の水の神様は、本家筋タカオカミ・クラオカミ・ミズハノメメ・ミクマリなどあまりないようです、

また、直ぐ近く(同じ地区)に「御嶽神社」があります、

もしかして、元の神社は「赤城神社」ではないか?

水騒動でもあったのかなあ?

四十九膳様(四十九前神)は、古老に聞いたところ、以前ため池に近くにあった(子供頃水浴びをした)、
唐沢山神社の宮司さんは、近くに共同墓地があったようなので、四十九は仏教に関係するではとのこと、

ひょっとして水に関する神様だったのでないか?

祭神が一人(少数)の神社は明治合祀の事情には一定の方程式?があるように思います、

そして、妙に「弁財天」が目立ちました。

写真上から「弁財天」「八幡宮」「天満宮」の祠です。
 

Re:何と読むのでしょうか?

 投稿者:いこまかんなび  投稿日:2013年 4月21日(日)10時53分52秒
返信・引用
  横から失礼します。

>四拾九膳神○山伐覚○帳
>この○は何と読むのでしょうか?

四拾九膳神家根替并山伐覚之帳 では
屋根替(修理)ならびにその木材を切り出した諸費用を記録したものでしょうか

>四十九膳神佐屋入費帳
>佐屋とは何でしょうか?

社殿の覆い屋(さや殿・さえ殿とか)意味でしょうか、その建築に要した費用の記録。

自信はありませんが。
 

Re: 何と読むのでしょうか?

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 4月20日(土)09時22分0秒
返信・引用
  > No.1610[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 嘉永 六年
>
> 四拾九膳神○山伐覚○帳
>
> 九月 廿一日
>
> この○は何と読むのでしょうか?
>
家根は屋根でしょうか、次の字は 「天」の下の「上」、天井のことか?

覚え帳の「え」?

よくわかりませんが・・・
 

Re: 「四十九(よそく)神社」

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 4月20日(土)09時10分39秒
返信・引用
  > No.1609[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 四十九と書いて「よそく」と読むらしい、

四拾九社太郎大明神、下野国には豊城入彦命を祀る神社が多いようです。
木の国の娘の皇子ですから、トヨキでしょうか、それとも本当は地元の人かも。

四拾九社太郎大明神、祭神のことを指し示すのでしょうね。
 

「佐屋入費帳」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 4月19日(金)16時56分24秒
返信・引用
  明治参拾壱年
  第十二月吉日

四十九膳神佐屋入費帳

氏子中

佐屋とは何でしょうか?

因みに、寄付人控に

一 佐屋一棟 ○○○○○

○は寄付者名とあります。
 

何と読むのでしょうか?

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 4月19日(金)16時43分32秒
返信・引用
  嘉永 六年

四拾九膳神○山伐覚○帳

九月 廿一日

この○は何と読むのでしょうか?


因みに、四十九前神は間違いで「膳」が正しいようです。
 

「四十九(よそく)神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 4月18日(木)11時36分29秒
返信・引用
  四十九と書いて「よそく」と読むらしい、
祭神は豊城入彦命
水の神様として弁財天が祀られているが、神社本庁に登録されていない、仏教ということか、
※境内にある掲示板によれば、
 四十九神社
正一位 四拾九社太郎大明神
これは豊城入彦命のことでしょうか、

http://www.mapion.co.jp/m/36.2874361_139.49639166_8/
 四十九神社(よそくじんじゃ)
栃木県足利市久保田町576
旧下野国 梁田郡    足利支部 09157
【祭神】豐城入彦命
 

Re: 古事記学会

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 4月13日(土)11時40分50秒
返信・引用 編集済
  言蛇さんへ
 訃報。。。心中お察し致します。

 神奈備さんが『青草談話室』で遊女を取り上げていますが、『記・紀、万葉集』あたりから蝶の話題が少なくなるとの説が気になるところで、日本本土では神女や遊女による "孵る" の観念が縮退していったのではと推測しています。

 尖閣問題は、ここでは相応しくないと思いますが、まあ色々大変な時代ですよ。
 副知事に琉球史の専門家を抜擢したことで、日米中台に対する良きメッセージとなるよう祈るところです。

 それと飲料水の確保の件ですが。。。お陰様で離島を含め、近年は水不足に陥ることも無くなりました。
 しかし、尖閣諸島近海を漁場とする場合は心配ですね。以前は中国や台湾の漁船との間で融通し合う事があったようです。

写真は、女神アマミキヨが最初に造ったとされる「知念グスク」・沖縄島南部
 

Re: 大阪城大手門見付石

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 4月13日(土)08時40分43秒
返信・引用
  > No.1605[元記事へ]

言蛇さんへのお返事です。

> #青草談話室の「遊女記」、だいぶお酒を飲まれているようですが神奈備さまは、普段どういうお酒を飲まれるのでしょう??

「遊女記」はしらふで書いているつもりですが、時々、酔いが抜けない内にパソコンの前に座ることはあります。焼酎、ワイン、ビールなど。

 

Re: 古事記学会

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 4月12日(金)03時00分11秒
返信・引用
  > No.1603[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

こんばんわ、訃報が相次いでいて返事が送れ申し訳ありません。
岐阜県にちなんだ蝶といえば真っ先に岐阜蝶が浮かんだんですが、これは県蝶じゃあ
なかったんですね

沖縄では蝶を「母を追う者」「巫女に寄り添う者」と呼ぶのですか・・・・
万葉集・日本書紀・古事記の時代の本土だと、万葉集では言及がなく平安時代の雅楽で
子供や巫女が演じる「胡蝶」という演目で纏められているくらいですね。イメージとし
ては生まれるのを待っている「あの世」の子供の霊の化身みたいな。沖縄に言葉として
よく残っているあたり、古い神格のアメノウズメなら日常的に蝶と会話する素質がある
でしょうね。ただ皇祖神となるアマテラスになると時代が下るにつれ蝶と話すことは少
なくなるでしょうねえ(汗)なにぶん相手は子供なうえ「あの世」の門を開ける以上、
呼んでもいない煩いだけの霊を招いちゃうかもしれないし。それこそ卑弥呼の系譜とし
てのアマテラス(=荒魂としてのアマテラス)が必要なときに蝶と話すくらいかも??

#沖縄に残っている古い人たちの世界観の解説、ありがとうございます。
#とても参考になります。


琉球松さん>日中などの外国人に意図的に見せることで戦う意思のないことを伝えた

尖閣諸島沖ですがつい先日、日本と台湾で周辺海域の漁業協定が締結されました。オバ
マ大統領も米軍の軍事費削減の方針を打ちたてていて将来的に沖縄本島の価値は下がっ
ていくとおもいます、よかったですね。
ところで、沖縄周辺では飲料水の確保は大丈夫なんでしょうか?

#写真は自分が撮影したオオゴマダラ。Pentax K200d,シグマの105mmマクロレンズで撮影。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

大阪城大手門見付石

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 4月12日(金)01時04分52秒
返信・引用
  「これやこの 行くも帰るも別れては
   知るも知らぬも 逢坂の関(小倉百人一首 10番:蝉丸)」

神奈備さまこんばんわ、大阪城大手門の岩戸をお持ちしました。
私が加藤清正殿と思っていたのは息子の加藤忠広殿でしたね。
いまの大阪城は徳川家普請の城だということを忘れていました(汗

名古屋城の清正石と勘違いしたかな?とおもってアルバムを確認したら
名古屋の清正石も実は清正本人が運んだわけではないという看板書きで、
昔の人の風説にすっかり飲み込まれていました、申し訳ありません。

写真の大手門、加藤忠広殿が運んだのが門両脇の大きい岩で、正面に見え
る「蛸石」は岡山の池田忠雄殿が運び込んでいます。

#青草談話室の「遊女記」、だいぶお酒を飲まれているようですが神奈備さまは、
#普段どういうお酒を飲まれるのでしょう??

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

今年の桜

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 4月 9日(火)21時51分38秒
返信・引用
  4月9日 琵琶湖 海津大崎

4月5日 大阪城

4月1日 大川端
 

Re: 古事記学会

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 3月26日(火)22時48分36秒
返信・引用 編集済
  言蛇さんへ

 クジャクチョウですか、美しい蝶、岐阜県の県蝶でしたかね。
 本土方言では、蝶を「チョウ・テフ」と呼びますが、これは朝鮮語か中国語が語源のようですね。
 琉球方言では、『古事記』の時代のまんまで「ハベル・ハーベルー・ハブラ・ハピル」などと呼んでいます。「ハベル」は同時に神女をも表すとの説がありますね。
 沖縄島中部では、「オオゴマダラ」などマダラチョウ科の蝶を通称「アンマーウーヤー(母を追うも者)」と呼び、この科の蝶の食草の分布と聖地が重なることから、「巫女に寄り添う者」のような意味になります。

 古代では、蝶と鳥は同義だったでしょうから、アメノウズメやアマテラスも蝶の素質を持っていたと考えますがどうでしょうか?

 ところで。。。、"琉球の刀が錆だらけ" なのは、もちろん塩害による酸化作用ではあるんですが、日中などの外国人に意図的に見せることで、戦う意思のないことを伝えた、まあプロパガンダでしょうね。

画像は、聖地で巫女に寄り添うとされる「オオゴマダラ」・Wikipedia より
 

Re: 穂高神社の清姫

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 3月26日(火)21時37分7秒
返信・引用
  > No.1596[元記事へ]

こんばんわ、神奈備さまへのお返事です。

神奈備さま>エスカレーターの左右については、凄い調査記録があります。
たしかにすごい調査記録ですね。ただその「社団法人日本エレベータ協会」、サーバー自
体が思いっきり怪しいのも事実です。エレベーターとエスカレーターでは管轄が違うので
は?????

神奈備さま> お雛様の並び方では、京都・大阪では男が右、女が左 ですが、東京では逆
神奈備さま>になっています。

この違いはやっぱり雛壇が町人に普及した徳川時代に醸成されたものでしょうね。
写真は秩父神社の神楽舞「天の岩戸」における田力男命です。徳川時代は記録がよく残っ
ているので、岩戸は軽いです。

#後日、加藤清正が運んだ大阪城の石垣の岩をお持ちします。


http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

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