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能勢妙見山の登山しました

 投稿者:天の高天原に坐します  投稿日:2013年 5月22日(水)20時38分44秒
返信・引用
  先日の2013.05.19の大阪府能勢町の能勢妙見山に登拝し大阪平野の一望を望みました。
吉川から山頂に至る途中には「白瀧稲荷神社」があり(http://kamnavi.jp/it/kinki/kawanisi.htm)また山頂から「本瀧寺」(http://www.hontakiji.com/)(当日は大柴燈護摩供養(http://www.hontakiji.com/%e5%b9%b3%e6%88%9025%e5%b9%b4%e5%ba%a6%e9%96%8b%e5%ae%97%e5%a4%a7%e6%b3%95%e8%a6%81%e3%83%bb%e5%a4%a7%e8%ad%b7%e6%91%a9%e4%be%9b/)がおこなわれていました)に至るまでの杉木立に苔むした祠や石仏など当日は天気が不安定でしたが改めてこの山(為楽山)が「宇賀之御魂神」を初めさまざまな神々が同居している霊山であることを実感してきました。
 
 

Re: 那智大社が式内社でない理由

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月20日(月)10時50分35秒
返信・引用
  > No.1635[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

>  墨坂さん、渡来系ではないと思います。

以前ご紹介いただいた「青銅の神の足跡」谷川健一に、チイサコべスガルの話がありました、

墨坂神は武器を供給していた、という記述と、スガルは侏儒だという話に納得、

雄略の寝所に”うろうろ”入り込むのは小人の仕業(日本霊異記)とは笑って
しまいました。

神武にとって、見逃すことの出来ない墨坂神では、と思いました。
 

「甲波宿弥神社旧地」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月20日(月)10時26分50秒
返信・引用
  以前から気になっていたのですが、

上野国式内社12社の一つ「甲波宿弥神社」、
一般的には、吾妻川に並ぶ三社(上・箱島「甲波宿弥神社」、中・祖母島「武内神社」、下・川島「甲波宿弥神社」)であると言われています、
他に渋川市行幸田(みゆきだ)「甲波宿弥神社」があり、これは分社ではないかと(宮司さんは川島の弟だとか)思われます、

ところが、利根川を挟んだ分郷八崎(ぶんごうはっさき)にある高円山観音堂が「旧地」という情報があります、

現場から見る景色は榛名山信仰の様な気分です。

平成23年末、仁王門を改修したようで、石仏群が沢山あります。

http://www.mapion.co.jp/m/36.48111940397936_139.03214270666632_10/(マピオン)

渋川市北橘町分郷八崎「高円山観音堂」

【延喜式神名帳】甲波宿祢神社 上野国 群馬郡鎮座
          (現在地)甲波宿祢神社

   【現社名】甲波宿祢神社(旧地)
   【住所群馬県渋川市北橘町分郷八崎
       北緯36度29分4秒、東経139度1分44秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】宝亀2年9月19日創祀
       天明3年(1783)7月淺間山噴火で流出
       同5年9月現社地再建

   【関係氏族】
   【鎮座地】宝亀2年9月19日此の地に創祀
        天明3年(1783)7月淺間山噴火で流出
        同5年9月現社地再建

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】

   【境内社】

観音堂の近くに標石があるとの事であったが標石不詳。

http://www.geocities.jp/engisiki/kouzuke/bun/koz260303-05.html
 

Re: 母の日のプレゼント

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 5月20日(月)09時14分50秒
返信・引用
  > No.1633[元記事へ]

言蛇さんへのお返事です。

 大阪人は殆ど”豊臣”でしょうね。プリンセストヨトミが成り立つのです。だから”橋下”さんも応援するんでしょう。落ち目のなったら、すぐに見放す、関東のみんなとは大違いです。

 颱風一過で境内の木々が少なくなった神社は結構多いです。印象深いのは、大和の神社。
 村屋坐弥富津比売神社
 鴨都波神社
 など。
 

Re: 那智大社が式内社でない理由

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 5月20日(月)09時13分3秒
返信・引用
  > No.1632[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

五来さん、よく歩いておられる民俗学者さんですが、この那智と新宮で一社とはびっくりの説です。
 『新抄格勅符抄』の熊野牟須美神とは熊野坐神社のことで、後ほど祭神を家津美御子神として、牟須美神は那智に遷ったと聞いたことがあります。
 延喜の時代には未だ神社の扱いではなかった那智、それ以前に神戸が与えられるはずがないのではないでしょうか。

 墨坂さん、渡来系ではないと思います。
 

御城稲荷神社

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 5月19日(日)23時18分19秒
返信・引用
  『御城稲荷神社』
(所在地)山形県鶴岡市馬場町4-16

『祭神』
 倉稲魂神
 大市姫神
 五十猛神
 須佐乃男神
 大己貴神

『由緒』
当神社は宝永五年(1708)荘内藩六代藩主酒井忠真公が当時の鶴ヶ丘城
二の丸東北隅に城内鎮守として創建され以来歴代藩主藩士の厚い崇敬が
あり年一回の祭日は城下の人々の参拝も特別に許され城内は大変な人出
であったという。明治維新後お城取り壊しの際も当神社だけはそのまま
残される。これは藩のみならず一般民衆の崇敬が厚かったからであろう。

*******************************************************************
神奈備さまが訪れたときは鬱蒼とした社叢があったそうですが、私が今
年の連休に訪れたときは、杉の枝打ちをした後なのか明るい感じでした。
この前の新潟地震で何本か倒れてしまったようです。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

母の日のプレゼント

 投稿者:言蛇  投稿日:2013年 5月18日(土)21時27分50秒
返信・引用 編集済
  「我妹子を 早見浜風 大和なる
   我を松椿 吹かざるなゆめ(万葉集0073:長皇子)」

神奈備さまこんばんわ、今週の日曜は「母の日」でしたね。
絵を描ける誰かさん達の代理として今年の母の花として椿の花をプレゼントします。

先の自分の大阪城石垣投稿で気がついたのですが、現在の大阪城は豊臣の城の上に
徳川が築いた城を復元したものです。
神奈備さま自身は豊臣派なのでしょうか?徳川派なのでしょうか?
この点ははっきりしておきませんと、近松門左衛門でも神奈備さまの意にかなう脚
本は書けそうにありません。

「雨煙る 海坂寄せる 藤波へ 碧き木斛 枝を振る我(言蛇)」
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/

http://www7a.biglobe.ne.jp/~kotohebi/

 

那智大社が式内社でない理由

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月18日(土)09時23分14秒
返信・引用
  熊野三所のなかで、早くから連合したのは「那智」と「新宮」だったらしい。
『延喜式』神名帳に「熊野速玉神社」とあるのは、那智と新宮が一社としてあつかわれていたもので、
「本宮」の「熊野坐神社」と合せて両所権現であった。

しかし奈良時代には那智と新宮が別々だったことは、『新抄挌勅符抄』の大同元年の条に、
熊野牟須美神四戸 紀伊、天平神護二年奉充
速玉神四戸 紀伊、神護二年九月廿四日奉充

とあることであきらかである。
ところが百年後の貞観年間には、この二社は「熊野速玉神」として一社になった。
『三代実録』(貞観元年正月二十七日条)には、

奉授紀伊国従五位下熊野速玉神、熊野坐神、並従五位上

とあり、同五月二十八日条や貞観五年三月二日条にも、おなじような神階昇叙の記載がある。
そしてこれが『延喜式』にそのまま踏襲されている。

熊野神話と熊野信仰の性格(五来重)
 

縁結比乃大神

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月17日(金)15時14分57秒
返信・引用
  ケヤキ大木に神やどる

長野市式内社美和神社境内

縁結比乃大神
 

Re: 「ヤタガラスの陰謀」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月14日(火)11時34分33秒
返信・引用
  > No.1629[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

>  沖縄の来訪神にアカマタ・クロマタが居ます。豊饒と再生をもたらす神々のようですが、大和では疫病を防ぐために、墨坂と大坂に祀られました。
>
>  式内であるか否かは、石清水八幡宮のように、神前にナマモノを奉じないような、僧侶が牛耳っている場合、式内社に列せられなかったようです。墨坂神社も神宮寺に遍照山薬王院天野寺があった時代があり、寺僧が跋扈していたのかもしれません。


墨坂神は渡来系なんですか
アカマタというのがゲゲゲの鬼太郎にありました、

「僧侶が牛耳る」というが正解のように感じます、

同様に式内社でない神社は、「篠畑神社」があります(天照大神の巡幸地のひとつ。一説に式内社の御杖神社を篠畑神社にあてる考え方もありますが)。という情報もありました。

kamnavi.jp/as/uda/sasahata.htm (篠畑神社)
 

Re: 「ヤタガラスの陰謀」

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 5月12日(日)14時19分28秒
返信・引用
  > No.1626[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

 沖縄の来訪神にアカマタ・クロマタが居ます。豊饒と再生をもたらす神々のようですが、大和では疫病を防ぐために、墨坂と大坂に祀られました。

 また、『日本書紀』巻十四雄略天皇七年(癸卯四六三)七月丙子《三》に次のような記述があります。
七年秋七月甲戌朔丙子。天皇詔少子部連スガル曰。朕欲見三諸岳神之形。〈或云。此山之神爲大物代主神也。或云。菟田墨坂神也。〉

 三輪の大物代主神と墨坂神とは同体かとも云っているようです。

 式内であるか否かは、石清水八幡宮のように、神前にナマモノを奉じないような、僧侶が牛耳っている場合、式内社に列せられなかったようです。墨坂神社も神宮寺に遍照山薬王院天野寺があった時代があり、寺僧が跋扈していたのかもしれません。
 

「越智神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月11日(土)19時06分28秒
返信・引用
  http://www.mapion.co.jp/m/36.7766194724119_138.3727707919457_10/

長野県中野市越170 越智神社

式内社

本殿の横に大きな石二つ、

川、水に関する神社が多いように思われます。

元は山頂にあったらしい、
 

「若伊香保神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月11日(土)11時02分49秒
返信・引用
  http://www.mapion.co.jp/m/36.46312449939538_138.9980891124441_10/

式内社「伊香保神社」の元社地と言われているようです、

上野国神名帳(総社本549社)の研究によれば、江戸末期に復活したとあります、

鳥居が妙に低い、境内社殿の左に大きな石があります、

裏に、庚申塔が多数、

境内の石は、人工的に運んだのか、それとも自然石か、

神倉のゴトビキ岩は人工的に加工されたものという説もあるようです、

石・石塔・石段・石鳥居、石がテーマ?


 若伊香保神社(わかいかほじんじゃ)

群馬県渋川市有馬1549

【祭神】大名牟遲神 少彦名神
 

Re: 「ヤタガラスの陰謀」

 投稿者:多美  投稿日:2013年 5月11日(土)09時40分33秒
返信・引用
  神奈備さんへのお返事です。

> ただ、『紀』に、崇神天皇の時、神々が荒れたので、大和への東の入り口にあたる当地の墨坂の神に赤色の楯矛を祭り、西の大坂の神に墨色の楯矛を祭ったと言う話が載っており、大和の東の境の神として重要視されていたようです。

墨坂神社(宇陀郡)が式内社でないのは”不思議”という主張は神奈備さんしか見当たりませんが、

「墨坂神」とはどんな神様だったのでしょうか(現在の6神ではなかったのでは)、

紀の背後には天武持統(裏に不比等)、何か魂胆があってのことではないでしょうか?

式内社は、現在でも当時の神社名が多いのは当然のことだと思いますが、

須坂市の墨坂神社が式内社で、本家の墨坂神社は式内社ではない、・・・・・・

この辺の事情はどの様に理解したらよいのでしょうか。

崇神の頃には(紀編纂時)墨坂神は大和朝廷に必要な神であったが、延喜の頃にはもう用無しになった、
これを察知して須坂へ逃亡した???
須坂「墨坂神社」は八幡宮を勧請し社家を祀っている、

なんて、邪推しています。
 

Re: 「ヤタガラスの陰謀」

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 5月 4日(土)14時33分57秒
返信・引用
  > No.1624[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 墨坂神社が式内社から漏れているのは不思議?
>
> 墨坂神社式内社漏れは「ヤタガラスの陰謀」では。

面白い着眼です。流石ですね。

ただ、『紀』に、崇神天皇の時、神々が荒れたので、大和への東の入り口にあたる当地の墨坂の神に赤色の楯矛を祭り、西の大坂の神に墨色の楯矛を祭ったと言う話が載っており、大和の東の境の神として重要視されていたようです。

 

「ヤタガラスの陰謀」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月 4日(土)09時54分34秒
返信・引用
  式内社

宇陀郡榛原町(現宇陀市)に式内社が7社あるようです、

墨坂神社が式内社から漏れているのは不思議?

「アマテラスの誕生」212Pに面白い記述があります、

 文武天皇の慶雲二年(705)九月には、『続日本紀』によれば「八咫烏の社を大倭の国宇多
 郡に置いて、これを祭る」とあります。この記事は、この年の直前に神武天皇の八咫烏伝説と いうものが形を整えられて、正史の中に大きくその位置を与えられることに決まったので、急 いでその説話の具象化を行なった、そのあらわれにちがいありません。・・・・・

榛原の地は、神武天皇の大和侵入説話にとって重要な地であった、

これに都合の悪いことが墨坂神社にあったのでは?

墨坂神社式内社漏れは「ヤタガラスの陰謀」では。

しかし、大和の国は遠すぎます。
 

「健御名方富命彦神別神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月 3日(金)09時01分42秒
返信・引用
  http://www.mapion.co.jp/m/36.65856591921194_138.1952802203263_10/

長野県長野市箱清水1-3(長野市大字長野字本城東2411)

http://www.mapion.co.jp/m/36.65750112944635_138.19493788942174_10/

城山公民館別館(旧蔵春閣)

式内社論社

境内鳥居横にプレハブが設置されています、

工事でも始まるのでしょうか?

右に見えるのは旧蔵春閣、異様な雰囲気です、

善光寺北から移転したようですが、社殿は、守田廼神社へ移築、

いろいろ事情があるようです。
 

「笠原神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月 2日(木)16時13分53秒
返信・引用
  長野県中野市笠原 408

http://www.mapion.co.jp/m/36.77595048882417_138.36279687609397_10/

明治6年4月郷社になったようですが、境内が狭いように思いました、

掲示板によれば、式内社として認知される努力をしたようです、
 

Re: 須坂「小坂神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月 2日(木)15時25分22秒
返信・引用
  > No.1620[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> 笠原神社の論社は承知していません。玄松子も同様。

※高井郡式内六社の中で、社名と社地が確定しているのは当社だけです。(小坂神社)

この記述を鵜呑みにしてしまいました。間違いでしたでした。


> 墨坂神社の元社は大和国宇陀郡に鎮座していますが、式内社にはなっていません。何故でしょうかね。

神武東征を邪魔したことに原因があるのでしょうか?

須坂は墨坂からとったらしい、縁が深いのでしょうか?

大和に式内社286座、明治36年2024社、圧倒的な数ですね、

何か因縁でもあったのでしょうか?
 

Re: 須坂「小坂神社」

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 5月 1日(水)20時29分12秒
返信・引用
  > No.1619[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 式内社高井郡 6座 小6座
>
> 墨坂神社2(論社)
> 越智神社3
> 小内神社3
> 笠原神社2
> 小坂神社0
> 高社神社2
>

笠原神社の論社は承知していません。玄松子も同様。

墨坂神社の元社は大和国宇陀郡に鎮座していますが、式内社にはなっていません。何故でしょうかね。
 

須坂「小坂神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 5月 1日(水)18時51分34秒
返信・引用
  式内社高井郡 6座 小6座

墨坂神社2(論社)
越智神社3
小内神社3
笠原神社2
小坂神社0
高社神社2

この神社に論社はないらしい、

間違いないと思います、

景色が違います、

動かないのが証拠?


 小坂神社(おさかじんじゃ)

長野県須坂市大字井上字小坂2578
旧信濃国 高井郡    上高井支部 13018
【祭神】小坂神 譽田別命


鎮座地 須坂市井上小坂二五七八
当社は十世紀の延喜式に載せられている名神です。祭神は古代この地方一帯を開発した氏族の祖神又は勤請神と考えられますが具体的には不明です。十一世紀後半清和源氏井上氏がこの地に入国して当社後方に居館を営んだとき八幡神を当社に祀りました。
高井郡式内六社の中で、社名と社地が確定しているのは当社だけです。鎌倉時代の史料に、地名「小坂」が現われ、現在まで続いているからです。
境内は北信濃特有のケヤキの純林で、須坂市天然記念林に指定されています。
以上

http://www.mapion.co.jp/m/36.62846382055232_138.2870169070795_10/
 

Re: 何と読むのでしょうか?

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 4月21日(日)15時09分37秒
返信・引用
  > No.1616[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> いこまかんなびさんへのお返事です。

困った時の神奈備頼み!

ありがとうございます。
 

Re: 何と読むのでしょうか?

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 4月21日(日)14時57分32秒
返信・引用 編集済
  > No.1613[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

四十九「前」と「膳」の違いは、帳箱を見せていただき古老にお話を聞きました。

宮司さんは氏子でないので参加?できないようです、宮司さんこの黒い箱は外から見たことはあるが中は見たことないようです、

どの様な神様なのか判らないようです、

文書は、お金の関するものが多いようです、

「利足取立帳」(文久元年)などもあります、

これに参加していた人は犬伏宿(例幣使街道)全域にわたっていたようです、

古老の話では、利息で祭りを行っていた(一世代前)とのこと、

ひそかに「善」行を行っていた?

四十九膳神

近くの神社の宮司さんの見解、以前の鎮座地は共同墓地の近くにあったようで、四十九という事から仏教に関するものではないか、とのことでした、

古老の話では、ため池に近くにあった(子供の頃水浴びして記憶している)、

本社の露垂根神社(つゆしねじんじゃ)

藤原秀郷がアベノセイメイの占いで、唐沢山頂に烏の羽を刺して、水が湧き出した、厳島から勧請、
その後、築城により引っ越しした(二度)、

これから、関係者と調べてみたいと思います。
 

Re: 何と読むのでしょうか?

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 4月21日(日)14時10分43秒
返信・引用
  > No.1614[元記事へ]

いこまかんなびさんへのお返事です。

> 四拾九膳神家根替并山伐覚之帳 では
> 屋根替(修理)ならびにその木材を切り出した諸費用を記録したものでしょうか
>
> >四十九膳神佐屋入費帳
> >佐屋とは何でしょうか?
>
> 社殿の覆い屋(さや殿・さえ殿とか)意味でしょうか、その建築に要した費用の記録。

ありがとうございます。
流石、納得できます。
 

Re: 「四十九(よそく)神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 4月21日(日)13時47分40秒
返信・引用
  > No.1612[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

四十九をテーマで祭りデータには「四十九神社」「四十九池神社」四十九所神社」と「四十九前神社」の四社でした、

この神社の鎮座地は「久保田」元は「窪田村」、隣り「高松村」、平坦部の水の神様は、本家筋タカオカミ・クラオカミ・ミズハノメメ・ミクマリなどあまりないようです、

また、直ぐ近く(同じ地区)に「御嶽神社」があります、

もしかして、元の神社は「赤城神社」ではないか?

水騒動でもあったのかなあ?

四十九膳様(四十九前神)は、古老に聞いたところ、以前ため池に近くにあった(子供頃水浴びをした)、
唐沢山神社の宮司さんは、近くに共同墓地があったようなので、四十九は仏教に関係するではとのこと、

ひょっとして水に関する神様だったのでないか?

祭神が一人(少数)の神社は明治合祀の事情には一定の方程式?があるように思います、

そして、妙に「弁財天」が目立ちました。

写真上から「弁財天」「八幡宮」「天満宮」の祠です。
 

Re:何と読むのでしょうか?

 投稿者:いこまかんなび  投稿日:2013年 4月21日(日)10時53分52秒
返信・引用
  横から失礼します。

>四拾九膳神○山伐覚○帳
>この○は何と読むのでしょうか?

四拾九膳神家根替并山伐覚之帳 では
屋根替(修理)ならびにその木材を切り出した諸費用を記録したものでしょうか

>四十九膳神佐屋入費帳
>佐屋とは何でしょうか?

社殿の覆い屋(さや殿・さえ殿とか)意味でしょうか、その建築に要した費用の記録。

自信はありませんが。
 

Re: 何と読むのでしょうか?

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 4月20日(土)09時22分0秒
返信・引用
  > No.1610[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 嘉永 六年
>
> 四拾九膳神○山伐覚○帳
>
> 九月 廿一日
>
> この○は何と読むのでしょうか?
>
家根は屋根でしょうか、次の字は 「天」の下の「上」、天井のことか?

覚え帳の「え」?

よくわかりませんが・・・
 

Re: 「四十九(よそく)神社」

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 4月20日(土)09時10分39秒
返信・引用
  > No.1609[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 四十九と書いて「よそく」と読むらしい、

四拾九社太郎大明神、下野国には豊城入彦命を祀る神社が多いようです。
木の国の娘の皇子ですから、トヨキでしょうか、それとも本当は地元の人かも。

四拾九社太郎大明神、祭神のことを指し示すのでしょうね。
 

「佐屋入費帳」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 4月19日(金)16時56分24秒
返信・引用
  明治参拾壱年
  第十二月吉日

四十九膳神佐屋入費帳

氏子中

佐屋とは何でしょうか?

因みに、寄付人控に

一 佐屋一棟 ○○○○○

○は寄付者名とあります。
 

何と読むのでしょうか?

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 4月19日(金)16時43分32秒
返信・引用
  嘉永 六年

四拾九膳神○山伐覚○帳

九月 廿一日

この○は何と読むのでしょうか?


因みに、四十九前神は間違いで「膳」が正しいようです。
 

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