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Re: 高倉下

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月28日(月)07時45分24秒
返信・引用
  > No.1570[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

>サルタヒコやヤタガラスのように、高倉下もまた「倭国大乱」を終息させるべく活動した英雄のように思えますね。

ありがとうございます。

ヤタガラス=高倉下の線は無理筋?


写真は、美人と普通?
 
 

Re: 高倉下

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 1月27日(日)12時44分58秒
返信・引用 編集済
  TAMIさん

 梅原猛さんの著書のご紹介、ありがとうございます。さっそうく購入しようと思います。

 縄文系とは言っても、弥生時代が始まると混血が進んで「倭人」になっていくようですから、なんとも難しい問題です。
 ただ、熊野は出雲との関係が深いですから、旧勢力であると考えてもいいのではないでしょうか。
 「高倉下」と呼ばれる勢力も、結局は神武(九州倭国連合の統一運動?)に参加したのではないかと。。。
 そこには朝鮮半島や中国大陸からの亡命者も多くいたはずですが、高倉下が食料に関わる名だとすれば、鰐(鮫・龍)の子孫である神武兄弟の名に「稲」が含まれる事と無縁ではないと考えますし、サルタヒコやヤタガラスのように、高倉下もまた「倭国大乱」を終息させるべく活動した英雄のように思えますね。

 蛇足ですが。。。山口県土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの松下館長は、「小泉今日子は縄文系で鈴木保奈美は弥生系、中間タイプに田中裕子」と書いています(笑)。

画像は、普天間基地内の前方後円墳?・・・本文とは関係ありません。
 

Re: 高倉下

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月27日(日)09時58分19秒
返信・引用
  > No.1568[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

>  「高倉下」は朝鮮系よりも、海部など海人系の匂いがしますがどうでしょうか。
>  物部との関係性があるとすれば、倭の先住民に近いとの認識も考慮していいと思います。

 熊野の名族?は高倉下の子孫という伝承があるらしい、とのこと、

 ということは、現場に行って地元の顔付きをみれば参考になりますか?

 南方熊楠は、どう見ても縄文系の顔しているようですが、

 高倉は、やはり食料倉庫でしょうか?

 倭の先住民に近いとすれば、やはり、縄文系でしょうか?

 
 

Re: 高倉下

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 1月25日(金)14時03分24秒
返信・引用 編集済
   「高倉下」は朝鮮系よりも、海部など海人系の匂いがしますがどうでしょうか。
 物部との関係性があるとすれば、倭の先住民に近いとの認識も考慮していいと思います。

 琉球方言では「タカクラジ」の響きには馴染みが無いのですが、文字通りの意味だとすると、高床式の倉と関係するでしょうかね。喜界島の高倉の上部横棒には魔除けと思われる「隼人盾」ソックリなギザギザ模様が刻まれています。

写真は、沖永良部島の「奄美式高倉」と説明板・沖縄県立博物館所蔵
 

Re: 高倉下

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月23日(水)19時54分23秒
返信・引用
  > No.1566[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。
>
> 兵站は面白い解釈ですね。
>
>  渡来系とは「高」がついていることからの推測でしょうか。

天孫族、ニギハヤは渡来人とすれば、

高倉下は、徳川幕府の柳生一族の様なものではないか?

つまり、天孫族系渡来人の弱み?を握っている、

神武東征に突如として登場、

これは、無視できないということでは、

神武東征の時代は、卑弥呼以後とすれば、兵站は既に中国では当たり前、

それと、熊野に根拠は、楽しい?

なんとなく、関雄二風ですが。

写真は、

この山の麓に「諏訪神社」があります、

山頂に祠などあると推測しました、

調べてみると、「社」があるようです、

”高い”ところに神宿る、
 

Re: 高倉下

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 1月22日(火)20時13分39秒
返信・引用
  > No.1565[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 高倉下は、
>
> 兵站、渡来系、と思います。
>
> それ以外に何かありますでしょうか?

兵站は面白い解釈ですね。

 渡来系とは「高」がついていることからの推測でしょうか。
 

Re: 高倉下

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月22日(火)10時54分3秒
返信・引用
  > No.1559[元記事へ]

>神奈備さんへのお返事です。

>琉球松さんへのお返事です。

高倉下は、

兵站、渡来系、と思います。

それ以外に何かありますでしょうか?


写真は足利市緑町「八雲神社」の仮殿にある神鏡?
 

緑とゆとり

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 1月20日(日)17時20分39秒
返信・引用
   1月20日の日曜日、靭公園の南側の木々の枝で、道の上に来ているのを切っていました。「大阪市 緑とゆとり」の係りのようです。写真で見えるように、運転手1人、上部でチェーンソウで切る人と補助で2人、道路は西側に3人、東側に3人、また公園内部に3人、全部で12人の大部隊です。これはゆとりが有りすぎるのではないでしょうか。休日出勤だし、橋本市長さん、しっかり無駄を排除して下さいね。
 

渡良瀬橋「八雲神社」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月17日(木)19時35分32秒
返信・引用 編集済
  足利市「八雲神社」を有名にした、森高千里(かつてのおじさんのアイドル)の『渡良瀬橋』、

初詣控え仮殿完成 森高千里「渡良瀬橋」の八雲神社、全国から励まし
(2012年12月30日 朝刊)

 歌手の森高千里さんのヒット曲「渡良瀬橋」の歌詞に登場することでも知られる足利市緑町1丁目の八雲神社。今月9日未明の火災で本殿などが全焼後、全国の森高さんファンなどから「がんばってください」などと励ましの電話や手紙が相次いで寄せられている。再建を願う声などを受け、同神社は組織設立の準備に入った。初詣を控え29日には仮殿が完成、新たな思いで参拝客を迎える。
 「再建はいつになりますか」「大変だと思いますが頑張ってください」「復興したら森高さんに社殿で歌ってほしい」。神社には毎日のように、激励の電話や手紙が相次ぐ。
 桜木宏紀宮司(72)は「多い時で1日30件ほどあり、東京や千葉から来てくれる人もいる。落ち込んでいたところに支援の声をいただき、本当にありがたい」と感謝する。
 雑誌や観光パンフレットに掲載され、全国から多くの人が訪れていた神社。地元関係団体などと1月にも復興に向けた組織を立ち上げ、復興計画などを協議する予定だ。
 また市内の中学校や企業から寄付金が届けられており、浄財を再建費用などの原資とするための専用口座を開設する方針。
 初詣には毎年1千人以上の参拝客が訪れていることから、火災3日後に仮殿の建設を開始。焼け残った柱の解体作業と同時に工事を進め、29日に完成させたという。


 八雲神社(やくもじんじゃ)

<通称>お天王さま・お鎮守様(おてんのうさま・おちんじゅさま)
326 栃木県足利市緑町1-3281
旧下野国 足利郡    足利支部 09138
【祭神】素盞嗚男命 (配祀)大己貴命 少彦名命 (合祀)火具土命
【例祭】4月21日 春季大祭 7月19日 例祭 7月21日 例祭 7月21日後の日曜日 例祭 7月21日後の月
由緒沿革

当社の草創は貞観十一年(八六九)東国一帯に疫病が大流行し、此の事に心を痛められた清和天皇(第五十六代)は、右大臣藤原基経郷に命じ三柱の神を祀って東国の安堵を祈らせました。その勅願所が本神社の創始であります。当社には、抜かずの太刀と呼ばれる太刀が大切に保管されていますが、これは承平五年平将門が叛乱を起し、此地の領主藤原秀郷公が藤原氏の宗家基経郷の草創になる当社に朝敵退敗を祈願され、その戦勝報告に龍宮伝来の太刀を御寄進になりました。尚神馬一頭に足利新田両郡六十六郷を御神領として御寄進され、その後牛頭天王御祭禮には毎年例幣使をつかわし高倉天皇の治承三年迄(百六十五年間)天下泰平を祈願しました。また前九年の役、後三年の役では源頼義公、義家公は当社に戦勝祈願をして御出征あらされました。足利義国公は應徳元年十一月足利式部大輔源義国と号し本地を足利として下向され、家運長久を祈願され御太刀を寄進し、足利梁田両郡の総鎮守と定められました。当社は明治元年三月二十八日内務省神祇事務局通達迄は、牛頭天皇とか牛頭天王榊大社とも呼ばれ、神域には日本一と称せられた大榊が御神木として聳えていました。現在は板にして保存してあります。当社の宝物の一つに神鏡(元禄九年鋳造)がありますが、おそらく日本第一の鏡と思われます。現在足利市の文化財となっています。当社はこのように由緒と御神徳の有る神社なのです。
以上
 

注連縄作り

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 1月14日(月)22時25分46秒
返信・引用
   大和葛城の御歳神社で、稲藁で注連縄を作りました。
 稲藁の束を径5cm程度のものを作り、根の方をしっかりくくります。
 その束を3等分します。
 2束をそれぞれ左撚りします。それを右撚りに捻子逢わせます。
 短くなったら新しい藁束(3等分の1の太さ)の根の方と短いのを撚りあわせます。
 どうようにもう一方も新しい束をつないでいきます しっかり撚りあわせて、それを右撚りにしっかりあわせますとつながっていきます。
 それで目標の長さになれば、先をしっかりくくります。

 最初に残した1束を左撚りしながら、2本でできあがった縄に右に撚りあわせていきます。最初の撚りの2つ分づつ巻き付ける感じで、つなぎながら同じ長さになるまで作っていきます。
 先をくくって完成です。

舩木さんに撮っていただいた写真です。
 

原町「大鷲神社鳥居」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月11日(金)20時18分1秒
返信・引用
  原町「大鷲神社鳥居」

吾妻郡東吾妻町原町駅南にある「赤い鳥居」、

扁額に「大鷲神社」とあります、

奥には「八坂神社」無各社、明治に大宮巌鼓神社に合祀、

この妙な関係に疑問をもち、

いろいろ調べてみましたが、判らない、

町役場に問い合わしたところ、

以下の回答をいただきました。

お問い合わせのメールありがとうございました。
> 産業課 小林がお答えさせていただきます。
>
>
> 結論から申し上げますと、八坂神社内に前橋の熊野神社から
> 分祀した「大鷲神社」があり、その鳥居が群馬銀行前にある
> 赤い大きな鳥居です。
>
> 現在12月20日に暮市が催されていますが、この市は、戦後の
> 昭和26年に、現在の商工会が中心となって始められたそうです。
> その際に、八坂神社へ大鷲神社を分祀してもらうことで、市
> の名前を「大酉祭」としたということです。
>
> 問題の鳥居ですが、その「大酉祭」のシンボル的なものとし
> て商工会によって建てられたものだということですので、古
> いものではないようです。
>
>
>
> 以上関係者に聞いてまとめたものですが、回答とさせていた
> だきます。
> 今後とも東吾妻町をよろしくお願いいたします。
>
>

そこで、前橋の熊野神社について確認したところ、


> 熊野神社(くまのじんじゃ)
> 群馬県前橋市千代田町3-8-12
> 旧上野国 群馬郡
> 【祭神】櫛御氣野命 (配祀)大屋津姫命 五十猛命 大鳥神
>

と判明しました。

何やら、熊野に結縁みたいです。
 

Re: 高倉下

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 1月10日(木)10時03分53秒
返信・引用 編集済
  神奈備さん、ありがとうございます。

 年末でしたか、熊野の特集がBSでやっていて、この番組でも「烏帽子岳」は特に霊山というわけでもなく、たんに修行の場所であったと紹介されてました。
 琉球側の「オボツ/カグラ」が「烏帽子/神蔵」であったとしても、沖縄出身の熊野修行僧が島に持ち帰った個人的印象なのかもしれません。

 それと、"「ゴトビキ岩」に対応するのは三重県熊野市の花窟神社" 。。。なんですが、海神スクナヒコナの素性を案山子が知っていると意見したカエルとの関係を連想しますがどうでしょうか?。
 案山子(輝す?)はたぶん「歩かない(足がない)=銅鐸」の事で、同時にイザナミ(古いタイプの蛇?)との解釈も成り立つのではと考えています。

 "ゴトビキと烏帽子が同時に出てくる神社は三重県紀宝町の神内神社" 。。。これもワクワクしますね。

写真は、宮古島北部の二つのピャウ(蛇)・ピャウの語源は「ヒラブ・イラブ.ピラウ etc 」で、ビロウ(檳榔)に同じと考えられる。
 

Re: 高倉下

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 1月 9日(水)20時36分42秒
返信・引用
  琉球松さんへのお返事です。

> TAMIさん、神奈備さんへ
>
>  「ゴトビキ岩」は神倉山にあり、そこが本来の古社されていますね。

>  ところで、「神倉山」が霊地であることは承知の事ですが、和歌山県新宮市の那智山の一峰とされる「烏帽子山」はどういう立場?なのでしょうか? 古来は霊山だったでしょうか。

 詳しくはありませんが那智における烏帽子岳は目立つ山ですが、かくべつには霊山とはされていないようです。那智は妙法山が奥の院とされおり、古くから信仰・修行の場所であったようです。

 神倉山中腹の「ゴトビキ岩」に対応するのは三重県熊野市の花窟神社のご神体のイザナミの墓所とされる巨巖壁とされています。

 ゴトビキと烏帽子が同時に出てくる神社は三重県紀宝町の神内神社があります。
 

Re: 高倉下

 投稿者:琉球松  投稿日:2013年 1月 9日(水)15時01分48秒
返信・引用 編集済
  TAMIさん、神奈備さんへ

 「ゴトビキ岩」は神倉山にあり、そこが本来の古社されていますね。

 これに関係するかどうかは断言できませんが、琉球の『おもろさうし』などには「オボツ/カグラ」という垂直思想の断片が記されていて、奄美大島南部や加計路麻島には「オボツ山/カクラ山」などの名称が残っています。
 これは、熊野権現の徒が持ち込んだ思想だと考えられていているんですが、古来からの水平思想「ニライ/カナイ」にとって変わるに至らず衰退したようです。

 この「オボツ/カグラ」は、それぞれ「エボシ(烏帽子)・カクラ(神倉)」では?との説があって、「烏帽子」の台湾側の中国読みは「ヲボシ」に近く、山頂が文字通り「烏帽子」との事。
 それに、「高倉下」が海神であるとすれば、後の代の「フダラク渡海」の習俗ともつながるかかもしれません?

 ところで、「神倉山」が霊地であることは承知の事ですが、和歌山県新宮市の那智山の一峰とされる「烏帽子山」はどういう立場?なのでしょうか? 古来は霊山だったでしょうか。

写真は、琉球国王就任の際に「リャン傘」が立つとされる海神アマミキヨ降臨の岩山「アス森(烏帽子?)」・沖縄島北端
 

「役小角」

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月 7日(月)09時00分47秒
返信・引用
  役小角

立場によって見方が違うようです。

「日本仏教をゆく」梅原猛著

独特の見解で面白いです、

小角は縄文人(山人)、胴が短く足が長い(ナガスネヒコ風)

反逆者と反反逆者の両面をもっている、

扱いづらい?と言っているようです。

因みに、

宮家準は、仮託の人といっているようです、

修験道の祖にしたくないのでしょうか?
 

Re: 高倉下

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 1月 6日(日)19時39分23秒
返信・引用
  > No.1554[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

> 神武東征の熊野から嚮導した八咫烏は一体誰なんでしょうか?
>

吉野と熊野灘とは縄文時代から人々の行き来がありました。その末裔ででもあったのでしょう。
 

Re: 熊野(ゆや)

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月 5日(土)15時40分43秒
返信・引用
  > No.1553[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。


> 熊野のことでは最初に読んだ本でした。最初の本は影響力が高いのでいいものを選ぶ必要がありますね。

まったく視点が違うと、おかしなことのように思います。

同じ時代同時に起きた事柄でしょうから、

じっくり勉強したいと思います。

熊野(あゆ)、掲示板を見ていたところ、なるほど、と思った次第です。
 

高倉下

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月 5日(土)15時30分46秒
返信・引用
  八咫烏は高倉下の配下

熊野神邑は「海の熊野」高倉下が君臨していた。

神武東征の八咫烏は頭に烏帽子を被った「海の修験」だった。

神倉山のゴトビキ岩が古代の拝所であり、この磐座にやどる神が高倉下であった。

高倉下は海の彼方から「寄り来る神」である海洋神。

死の国・熊野 豊島修著

八咫烏神社の案内には、

【 ご 祭 神 】

・建角身命
   (たけつぬみのみこと)

 『延喜式神名帳』頭註には「八咫烏 賀茂建角身命也」とあり『新撰姓氏録』では「賀茂建角身命は神魂命(かみむすびのみこと)の孫であり、神武東征の際には、高木神・天照大御神の命を受けて日向の曾の峰に天降り、大和の葛木山に至り八咫烏に化身して神武天皇を先導した」と伝えています。

とあります。

青銅の神の足跡・谷川健一にも、

弥生時代の祭祀あとがある、

神武東征の熊野から嚮導した八咫烏は一体誰なんでしょうか?

因みに、

熊野の名族はすべて高倉下の子孫という伝承もあるらしいです。

徐福伝承、渡来なんでしょうか?
 

Re: 熊野(ゆや)

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 1月 4日(金)08時48分5秒
返信・引用
  > No.1552[元記事へ]

TAMIさんへのお返事です。

熊野のことでは最初に読んだ本でした。最初の本は影響力が高いのでいいものを選ぶ必要がありますね。
 

熊野(ゆや)

 投稿者:TAMI  投稿日:2013年 1月 2日(水)20時48分49秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます。

新年そうそう、熊野(ゆや)

以上、

 

謹賀新年

 投稿者:神奈備  投稿日:2013年 1月 1日(火)09時40分18秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。  

Re: 若太陽を迎える琉球の神事

 投稿者:琉球松  投稿日:2012年12月26日(水)09時41分52秒
返信・引用
   神奈備さんへ

 行政や観光業界の都合でこの日となっています。
 本来は冬至の翌日との事で、琉球圏のあちこちで行われていますよ。

写真は、イベント風景
 

Re: 若太陽を迎える琉球の神事

 投稿者:神奈備  投稿日:2012年12月24日(月)14時13分59秒
返信・引用
  > No.1548[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。
>  主催者による開会のあいさつの開口一番が「明けましておめでとうございます」が印象的でした。
>

冬至は21日、近い日曜日にということでしょうか。
 

若太陽を迎える琉球の神事

 投稿者:琉球松  投稿日:2012年12月23日(日)11時28分16秒
返信・引用
   今朝、世界遺産「中城グスク」で同共同管理協議会主催による「わかてだを見る集い」に参加して来ました。

 本来は冬至の翌日の太陽を「わかてだ」と称し、各地のノロ達によって拝まれていたようです。
 今回は、あいにくの天気で朝日(7:13)は拝めなかったのですが、神女に扮した首里クエーナ保存会の皆さんの拝みは神事に相応しい感動的なシーンでした。晴れていれば久高島と津堅島の間から上がるそうです。

 クエーナは王朝時代の首里のものらしく、さほど古い神歌ではありませんでした。
 欲を言えば、「大城(ウフグシク)」部落管轄ノロの、そして奄美沖縄各地のより伝統的なものであればなおイイと思いましたね。喜界島~与那国島に至る全琉球的なイベントになれば最高です。

 主催者による開会のあいさつの開口一番が「明けましておめでとうございます」が印象的でした。

画像は、同パンフレット
 

修験道

 投稿者:TAMI  投稿日:2012年12月20日(木)01時11分33秒
返信・引用
  神仏混淆といわれているようですが、仏教ですね。

日本の民族宗教(死霊・祖霊)から、

修験道の教義では、修験者は本来仏性をもっている。それゆえ修行によってこの仏性をめざめさせるなら、生きながら仏になることができると説かれている。

漢字の勉強には最適です、

以前、便所神「ウスサマ」というのがありまして、正体がよく判らなかった、の、ですが、

烏枢沙摩明王という記述がありました、この便所神は修験が持ち込んだものでしょうか?

著者は、五来重を若干批判的にみているようです(ライバル?)321P、

辞書を見ながら大変です。


 

那智大社が式内社でない理由

 投稿者:TAMI  投稿日:2012年12月15日(土)12時49分36秒
返信・引用
  いぜん、何かで、那智大社は式内社でない、理由は、那智大社はお寺と認識されていた、という

ような事だった。

ところが、

「熊野神話と熊野神道」五来重

に、『延喜式』神名帳に「熊野速玉神社」とあるのは、那智と新宮は一社とあつかわれたもの

で、「本宮」の「熊野坐神社」と合わせて両所権現であった。

とあります。

そこで、

玄松子さんの「那智大社」で確認しました。


「熊野神邑」。平安初期まで新宮の速玉大神と那智の結大神は
二社一所に祀られ、神倉山麓を「神邑」と呼ばれた。
それに対し、那智は「仏邑」であった。
式内社でないのは、そのためだろうか。

と解説されています、

すばらしいですね。
 

Re: ペトラにて

 投稿者:神奈備  投稿日:2012年12月14日(金)12時36分39秒
返信・引用
  > No.1544[元記事へ]

KAGさんへのお返事です。

> 聖地なのかどうか? しりませんが、神殿だったようなので、とりあえず投稿します。
> 通常の観光ルートを避けて、岩山を乗り越え、乗り越えて入ってみました。
> 途中で壮大な景色が広がっていましたが、観光客には危険なのでお勧めしません。

ありがとうございます。
ヨルダンですね。
危険地帯には気をつけてくださいね。
 

ペトラにて

 投稿者:KAG  投稿日:2012年12月14日(金)02時48分52秒
返信・引用
  聖地なのかどうか? しりませんが、神殿だったようなので、とりあえず投稿します。
通常の観光ルートを避けて、岩山を乗り越え、乗り越えて入ってみました。
途中で壮大な景色が広がっていましたが、観光客には危険なのでお勧めしません。
 

現実逃避ですね・・・あなた方はまつろわぬ民の亡霊にやられてこの世から消えうせろ・・・

 投稿者:・・・・・・  投稿日:2012年12月13日(木)20時34分5秒
返信・引用
  none  

Re: 無視ですか・・・

 投稿者:神奈備  投稿日:2012年12月13日(木)12時45分38秒
返信・引用
  > No.1540[元記事へ]

荒客人さんへのお返事です。

「東日流外三郡誌」は 偽書です。これをベースに何かを論じるつもりはありません。無視です。
 

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